8月 312015
 

イタリア屈指の絵画館として知られるブレラ絵画館(Pinacoteca di Brera)ですが,ルネサンス期の宗教画ばかりなので,宗教画があまり好きではない人には,フィレンツェのウフィッツィ美術館と比べられてもなぁという感じでしょう.私はそんな1人です.と言いつつ,ここも2度目の訪問です.

“ブレラ絵画館@ミラノ”
ブレラ絵画館@ミラノ

ブレラ絵画館はブレラ美術大学附属の絵画館で,その建物は元々17世紀にイエズス会の教育施設として建造されたそうです.

“ラファエロの「マリアの結婚」@ブレラ絵画館”
ラファエロの「マリアの結婚」@ブレラ絵画館

1時間ほどでザッとコレクションを見た後,大学の建物を奥へ進むと,雰囲気の良い裏手の通路に出ました.

“ブレラ美術大学の裏手?@ミラノ”
ブレラ美術大学の裏手?@ミラノ

煉瓦の塀に沿って右手に進むと,突き当たりに,ブレラ美術大学附属のブレラ植物園がありました.

“ブレラ美術大学附属のブレラ植物園@ミラノ”
ブレラ美術大学附属のブレラ植物園@ミラノ

とても雰囲気の良い庭園になっています.

“小さいが雰囲気の良いブレラ植物園@ミラノ”
小さいが雰囲気の良いブレラ植物園@ミラノ

“小さいが雰囲気の良いブレラ植物園@ミラノ”
小さいが雰囲気の良いブレラ植物園@ミラノ

思い掛けず出会ったブレラ植物園を見学した後,急いで集合場所のドゥオーモ広場へ.

8月 312015
 

国際会議IEEE EMBCの最終日は昼過ぎまでだったので,午後から観光と買い物へ.最初に向かったのはスフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)です.

“スフォルツェスコ城@ミラノ”
スフォルツェスコ城@ミラノ

城の手前のカステッロ広場には,ミラノ万博関連の白い建物が並んでいました.とにかく暑いので,噴水で涼んでいる人もいます.

“カステッロ広場の噴水とスフォルツェスコ城”
カステッロ広場の噴水とスフォルツェスコ城

スフォルツェスコ城は,元々14世紀にヴィスコンティ家の居城として建てられ,その後15世紀にスフォルツァ家が城塞として改築したそうです.その建築には,レオナルド・ダ・ヴィンチやブラマンテも携わったといいます.

“スフォルツェスコ城の中庭@ミラノ”
スフォルツェスコ城の中庭@ミラノ

正面の塔をくぐると,回廊に囲まれた広い中庭があります.その美しい中庭には,ミラノ市内のあちこちで見掛ける水飲み場もあります.鳩が必死に水を飲んでいました.

“ミラノ市内のあちこちにある水飲み場がスフォルツェスコ城の中庭にも”
ミラノ市内のあちこちにある水飲み場がスフォルツェスコ城の中庭にも

さらに奥へと進むと,スペインのアルハンブラ宮殿を思わせる中庭があります.建物の色もここだけ随分と異なります.

“アルハンブラ宮殿を思い起こさせる中庭@スフォルツェスコ城”
アルハンブラ宮殿を思い起こさせる中庭@スフォルツェスコ城

今回は,スフォルツェスコ城内にある美術館や博物館は見学せず,そのまま城を突き抜けて,センピオーネ公園へ.

“広大なセンピオーネ公園@ミラノ”
広大なセンピオーネ公園@ミラノ

遠くに平和の門が見えます.スフォルツェスコ城と平和の門に挟まれて,広大なセンピオーネ公園があります.緑豊かな公園では,水着姿で芝生に寝そべって肌を焼いている人もたくさんいました.

“広大なセンピオーネ公園@ミラノ”
広大なセンピオーネ公園@ミラノ

なるべく日向を避けるようにして,センピオーネ公園内を歩いた後,ブレラ地区へ.

8月 312015
 

ミラノを代表する建築物と言えば,ゴシック様式のドゥオーモ(Duomo)でしょう.市の中心に位置し,とにかく目立ちます.ドゥオーモの建築が始まったのは1386年,当時のミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命によるといいます.

“壮麗なゴシック建築のドゥオーモ@ミラノ”
壮麗なゴシック建築のドゥオーモ@ミラノ

“壮麗なゴシック建築のドゥオーモ@ミラノ”
壮麗なゴシック建築のドゥオーモ@ミラノ

もちろん,階段で屋根に登ります.これも2度目です.大聖堂への入口は正面の扉ですが,屋上への入口はドゥオーモの側面左側にあります.チケット売場は左右両方にありました.ドゥオーモには,135本の尖塔と2245体の彫像があるといいます.

“ドゥオーモの屋上へ@ミラノ”
ドゥオーモの屋上へ@ミラノ

“ドゥオーモの屋上へ@ミラノ”
ドゥオーモの屋上へ@ミラノ

“ドゥオーモの屋上@ミラノ”
ドゥオーモの屋上@ミラノ

ドゥオーモの屋根の上まで来ると,最も高い尖塔の頂に立つマリア像を近くに見ることができます.

さらに,屋上からは,ドゥオーモ広場や王宮,そしてミラノ市街を一望できます.

“ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ”
ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ

“ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ”
ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ

“ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ”
ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ

“ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ”
ドゥオーモの屋上からの眺望@ミラノ

屋上から地上へと長い階段を降りた後,一度建物の外へ出て,正面の入口からドゥオーモの中に入ります.入口では、迷彩塗装の制服に身を包んだ兵士に荷物の中身をチェックされました.全員です.

ちなみに,ノースリーブやショートパンツだと見学させてもらえないかもしれないので注意しましょう.観光客だらけだとは言っても神聖な場所です.

“広大なドゥオーモの内部@ミラノ”
広大なドゥオーモの内部@ミラノ

“広大なドゥオーモの内部@ミラノ”
広大なドゥオーモの内部@ミラノ

ドゥオーモの全面にあしらわれたステンドグラスも圧巻です.

“ドゥオーモのステンドグラス@ミラノ”
ドゥオーモのステンドグラス@ミラノ

“ドゥオーモのステンドグラス@ミラノ”
ドゥオーモのステンドグラス@ミラノ

地下の宝物庫も見学できます.

“ドゥオーモの地下にある宝物庫@ミラノ”
ドゥオーモの地下にある宝物庫@ミラノ

“ドゥオーモの地下にある宝物庫@ミラノ”
ドゥオーモの地下にある宝物庫@ミラノ

“夜のドゥオーモ@ミラノ”
夜のドゥオーモ@ミラノ

ライトアップされる夜のドゥオーモも非常に美しいですね.

8月 312015
 

ミラノの観光と言えば,サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)の食堂の壁に描かれた,レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は必見でしょう.この壁画は,1495年から3年をかけて描かれたそうです.

“サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会@ミラノ”
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会@ミラノ

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の見学には予約が必要なので,ミラノを訪問する日程が決まったら,インターネットで予約しておきましょう.チケットが完売していても,どうやらキャンセルが出ることも少なくないようなので,諦めずにチェックするといいと思います.

“レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の受付@ミラノ”
レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の受付@ミラノ

今回,私は2度目の見学でした.厳重な監視体制の下,完全交代制で1組15分間,「最後の晩餐」の描かれた部屋に入ります.写真撮影は禁止です.15分間見学した後,ギフトショップで買い物をしました.その後,サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の中に入りました.美しい教会です.

“サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の内部”
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の内部

“サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の懺悔室”
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の懺悔室

“サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会@ミラノ”
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会@ミラノ

それにしても,この「最後の晩餐」といい,科学技術博物館といい,レオナルド・ダ・ヴィンチただ1人でイタリアの国家財政にどれだけ貢献していることかと思います.天才恐るべし.

8月 312015
 

聖アンブロージョ(Sant’Ambrogio)が4世紀末に創建したという,ミラノで最も古い教会が,サンタンブロージョ教会(Basilica di Sant’Ambrogio)です.レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館や「最後の晩餐」で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の近くにあります.

“サンタンブロージョ教会@ミラノ”
サンタンブロージョ教会@ミラノ

“サンタンブロージョ教会@ミラノ”
サンタンブロージョ教会@ミラノ

8月 312015
 

みんなエンジニアですから,ミラノで最初に訪れたのが,ドゥオーモでもブレラ絵画館でもモンテナポレオーネ通りでもなく,レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnica, Leonardo da Vinci)です.

“模型@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館”
模型@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館

レオナルド・ダ・ヴィンチの生誕500年を記念して作られた博物館は,元々は修道院だったそうです.入口は「本当にここでいいのか?」と思うくらい小さくて地味です.

“レオナルドダヴィンチ科学技術博物館@ミラノ”
レオナルドダヴィンチ科学技術博物館@ミラノ

レオナルド・ダ・ヴィンチが発明・設計した数多くの工学作品の模型が展示してあります.人間の解剖図もあります.

“模型@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館”
模型@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館

“解剖図@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館”
解剖図@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館

“解剖図@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館”
解剖図@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館

“レオナルド・ダ・ヴィンチが発明・設計した工学作品や解剖図が並ぶ廊下”
レオナルド・ダ・ヴィンチが発明・設計した工学作品や解剖図が並ぶ廊下

レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館という名前の通り,レオナルド・ダ・ヴィンチにまつわるモノだけが展示してある博物館だと思っていましたが,完全に予想を裏切られました.科学技術博物館の名にふさわしく,質・量ともに凄まじい展示品があります.とても1時間や2時間ですべてを見てまわることはできません.

“ALFA
ALFA ROMEO 8C 2300@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館

“蒸気機関車@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館”
蒸気機関車@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館

“航空機@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館”
航空機@レオナルドダヴィンチ科学技術博物館

BIANCHI 8HP(1903年),ALFA ROMEO 8C 2300(1932年),BISILURO DAMOLNAR(1955年)が陳列してある部屋があるばかりか,製鉄,通信,宇宙など様々な展示スペースがあり,さらに,蒸気機関車,航空機,船舶など,イタリアの科学技術史に触れることができます.

“レオナルドダヴィンチ科学技術博物館の中庭@ミラノ”
レオナルドダヴィンチ科学技術博物館の中庭@ミラノ

修道院だったというだけのことはあり,美しい中庭もあります.レオナルド・ダ・ヴィンチに興味のある人はもちろん,科学技術全般に興味がある人にも訪れる価値のある博物館です.そのわりに,ギフトショップはいまいちでした.

8月 282015
 

イタリアのミラノに滞在中です.折角,ミラノに来ているので,スカラ座(Teatro alla Scala)でオペラを観ることにしました.

“スカラ座(Teatro
スカラ座(Teatro alla Scala)@ミラノ

今の時期,スカラ座ではオペラ”La Boheme”を上演しています.当日券は半額で買えるそうで,ドゥオーモ地下にあるチケットオフィスに出向いて,行列に並び,まだ購入できるチケットの中では一番安い3階ボックス席(Palco)のチケットを46.5ユーロで入手しました.

“ドゥオーモ地下にあるチケットオフィスで当日券を購入”
ドゥオーモ地下にあるチケットオフィスで当日券を購入

“3階ボックス席(Palco)のチケットが半額で46.5ユーロ@ミラノのスカラ座”
3階ボックス席(Palco)のチケットが半額で46.5ユーロ@ミラノのスカラ座

”Palco III”が3階ボックス席,”n. 5”がボックスの番号で,ステージに近い方から順に番号が振られています.”Posto 4”がボックス内での座席番号です.

“スカラ座(Teatro
スカラ座(Teatro alla Scala)@ミラノ

開演は20:00なので,19:30頃にスカラ座に到着するようにホテルから移動しました.地下鉄のドゥオーモ駅からヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世のガッレリアを抜けると,正面にスカラ座があります.

“3階ボックス席(Palco)を1人で独占@ミラノのスカラ座”
3階ボックス席(Palco)を1人で独占@ミラノのスカラ座

今回,私が利用したのは4人用のボックス席でしたが,他に誰も来なかったので,一番見やすい席に座り,ボックスを独占使用しました.それにしても,”Posto 4”という座席は4人用ボックスの中では最悪の席なので,空いているのに,この席を売りつけたチケットオフィスの担当者は不親切ですね.チケットを購入するときは,空席を確認して,一番良い席を確保するようにすべきでしょう.

“ボックス席から見るスカラ座(Teatro
ボックス席から見るスカラ座(Teatro alla Scala)@ミラノ

開演前,ボックス席のドアは施錠されているので,係員にチケットを見せて,開錠してもらわなければなりません.オペラ”La Boheme”は4幕ですが,2幕が終わったところで,中休みになります.バーでお酒を飲んだりしますが,このときも,ボックス席は施錠されます.

“オペラ
オペラ La Boheme 開演前のスカラ座3階のバー

オペラ”La Boheme”の舞台はパリです.屋根裏部屋やカルチェラタンで繰り広げられる恋愛模様のお話です.あらすじを予習して行ったから良かったものの,イタリア語は全くわからないので,予習せずにオペラを見たら,本当に意味不明だったはずです.

“オペラ
オペラ La Boheme 第1幕終了後のカーテンコール@ミラノのスカラ座

“オペラ
オペラ La Boheme 第2幕終了後のカーテンコール@ミラノのスカラ座

最後だけでなく,第1幕から第4幕までのそれぞれが終わるごとにカーテンコールがありました.

“オペラ
オペラ La Boheme 第2幕終了後のスカラ座3階のバー

“第2幕終了後にワイン等を飲む人達@スカラ座3階”
第2幕終了後にワイン等を飲む人達@スカラ座3階

オペラ”La Boheme”は全部で4幕あり,途中の長い休憩のときに,みんなでワインなどを飲み,社交界に混じった雰囲気を味わいました.グラスワイン5ユーロ,コーヒー2ユーロ,シャンパン12ユーロと,思っていたよりも安かったです.

“オーケストラ@ミラノのスカラ座”
オーケストラ@ミラノのスカラ座

“オペラ
オペラ La Boheme 第3幕終了後のカーテンコール@ミラノのスカラ座

“オペラ
オペラ La Boheme 第4幕終了後のカーテンコール@ミラノのスカラ座

20時開演で,終了したのは23時頃でした.休憩時間が十分にありますが,それでも長いですね.時差ボケの影響で,途中で何回か寝てしまいました.それでも,カルチェラタンを舞台とする迫力のある第2幕,感動のラストシーンがある第4幕など,満喫してきました.

8月 242015
 

今年の夏休みは何も旅行を計画していないので,近場で遊ぶことにした.選んだのはラフティングだ.関西周辺だと,吉野川の祖谷渓(大歩危・小歩危)が激流で有名だが,京都でも保津川でラフティングができる.保津川は比較的流れが緩やかなので,ラフティングが初めての小学生を連れて行くにはちょうどよいだろう.今回は,折角なので,一日コース(10時集合,16時頃解散)に申し込んだ.

“先端に陣取り激流を下る長男長女@保津川ラフティング”
先端に陣取り激流を下る長男長女@保津川ラフティング

保津川と言えば,保津川下りが有名だろう.トロッコ列車の終着駅がちょうど遊覧船の出発地点になっている.一日コースの保津川ラフティングもここから川を下り始める.

“保津川下りの遊覧船と同じ出発地点@保津川ラフティング”
保津川下りの遊覧船と同じ出発地点@保津川ラフティング

午前中は激流ポイントはなく,緩やかな流れの川をボートで下りながら,基本動作を教えてもらう.以前,祖谷渓(大歩危・小歩危)でラフティングを楽しんだときもそうだったが,インストラクターにはネパール人が多い.我々が乗ったボートのインストラクターは専門学校を卒業したばかりの日本人で,近く,ラフティングの盛んなニュージーランドに修業を積みに行くとのことだった.

“浮かぶ長男@保津川ラフティング”
浮かぶ長男@保津川ラフティング

川を下る途中,時々,ボートから川に下りて遊ぶ.水が冷たくて気持ちいい.ボート対抗で,水を掛け合ったり,レースをしたりもする.実に楽しい.

“自然の中で保津川ラフティング”
自然の中で保津川ラフティング

しばらく川を下ると,周囲を山に囲まれて,自然満喫状態になる.

昼頃に午前の部が終了.一旦上陸して,弁当を食べる.一日コースはのんびりとできるのが良いが,午前中は激流ポイントがほとんどないので,保津川で激流下りがしたい!という人は半日コースに参加するのがよいと思う.

“激流を下る@保津川ラフティング”
激流を下る@保津川ラフティング

“激流を下る@保津川ラフティング”
激流を下る@保津川ラフティング

午後は激流ポイントが続く.みんな大喜びだ.時々,保津川下りの遊覧船が通過していく.保津川では遊覧船が優先なので,遊覧船が通過する間,ボートは端によって観光客に手を振る.ラフティングは楽しく見えるようで,特に若い人達は,遊覧船に乗った後,ラフティングに挑戦することも多いらしい.

“岩から飛び込む@保津川ラフティング”
岩から飛び込む@保津川ラフティング

保津川ラフティングも終盤に差し掛かり,いよいよ大きな岩からの飛び込みポイントだ.水面からの高さは5mくらいあるだろう.まず,長男が飛び込む.

“岩から飛び込む@保津川ラフティング”
岩から飛び込む@保津川ラフティング

続いて,長女も飛び込むと言った.ビビッて飛び込まないだろうと思っていただけに,これには驚いた.岩の先端に立つと,怖くてブルブルと震えていたが,3,2,1,0!の掛け声と共に,見事にダイブした.大したものだ.

“川に落ちるまで前傾姿勢で耐える@保津川ラフティング”
川に落ちるまで前傾姿勢で耐える@保津川ラフティング

その後も川を下りながら,ライフジャケットにロープをくくりつけて,水面に向かって超前傾姿勢を取ってみたりと,色々と遊んだ.

“帰りは電車@保津川ラフティング”
帰りは電車@保津川ラフティング

ゴール地点で川岸に上陸すると,パドルなど道具一式を持って,JR山陰線に乗って集合場所に戻った.こんな集団が電車に乗り込んできたら,驚く乗客も多いだろう.

大いに楽しんだ一日だった.子供たちも「またラフティングしたい!」と言っている.

8月 242015
 

中国CCCと同時開催されたSICE Annual Conferenceに参加するため,7月27日から31日までの5日間,中国杭州のインターコンチネンタルホテル杭州に滞在した.杭州空港からホテルまでは予め手配してもらっていた車で移動したので,何の問題もなく,快適だった.

“夜のインターコンチネンタルホテル杭州”
夜のインターコンチネンタルホテル杭州

“昼のインターコンチネンタルホテル杭州”
昼のインターコンチネンタルホテル杭州

今回の会場はインターコンチネンタルホテル杭州だが,このホテルの外観は特別だ.まさに球である.

低層階にはホールや会議室,レストラン等があり,最上階にはフィットネスセンターやプール,スパがある.客室はその間に球面に沿って配置されていて,ホテル内部は巨大な空洞になっている.

“巨大な吹き抜け@インターコンチネンタルホテル杭州”
巨大な吹き抜け@インターコンチネンタルホテル杭州

クラブフロアには泊まらなかったが,さすがインターコンチネンタルホテルだけあって,一般の客室でも広くて快適だ.今回は,窓から川が見えるツインの部屋に宿泊した.荷物置き場としてしか使わなかったが,窓際には大きな丸いソファと広い作業机がある.

“広い客室@インターコンチネンタルホテル杭州”
広い客室@インターコンチネンタルホテル杭州

“丸いソファ@インターコンチネンタルホテル杭州”
丸いソファ@インターコンチネンタルホテル杭州

“広い作業机@インターコンチネンタルホテル杭州”
広い作業机@インターコンチネンタルホテル杭州

浴槽とシャワールームがわかれている浴室は,なんとガラス張りで,浴室から部屋を見渡すことができる.もちろん逆も.そして,視界を遮るためのブラインドは自動開閉式で浴室内で操作できる.部屋のカーテンも自動だ.なんともゴージャスなつくりになっている.

“ガラス張りの浴室@インターコンチネンタルホテル杭州”
ガラス張りの浴室@インターコンチネンタルホテル杭州

実は今回,27日夜にVIP Receptionに参加するため近隣の大学にバスで連れて行ってもらった以外は,帰国するために杭州空港に向かうまでの4日間,一歩もホテルの外に出なかった.会期中,昼食も夕食もすべて用意されていて,外に食べに行く必要がなかったことが主たる理由だ.しかし,いつもなら1日は街を歩き回るのだが,杭州には一度来たことがあり,そのときに西湖も観たので,もういいかという気持になったことが大きい.それでもホテルの近くにあるコンビニにくらいは行きそうなものだが,それすらせず,本当にホテルから一歩も出なかった.我ながら歳をとったなと思わざるをえない.

“何度かお世話になったバー@インターコンチネンタルホテル杭州”
何度かお世話になったバー@インターコンチネンタルホテル杭州

昼食には中華料理の弁当が,夕食には中華料理のビュッフェが用意されていたので,ホテル内のレストランも利用しなかった.その代わりというわけでもないが,ホテル内のロビーバーを何回か利用した.どれだけの参加者が知っていたのかわからないが,実は,インターコンチネンタルホテルグループの会員になっていると,チェックインするときに,ウェルカムドリンク券をもらえる.今回の滞在中は,それでビールを飲んだというわけだ.その他,いつもお世話になっているM先生と2人でワインのボトルを空けたりした.

外出しない代わりに,最上階のフィットネスセンターには大変お世話になった.朝晩の1日2回,およそ30分ずつを目処にバイクを漕いだ.ホテルから一歩も外に出なかったが,これで確実に400Kcal/day以上の運動をした.

“CCC+SICEバンケットの飲み物@インターコンチネンタルホテル杭州”
CCC+SICEバンケットの飲み物@インターコンチネンタルホテル杭州

SICE Annual Conferenceの内容はともかく,最終日にはインターコンチネンタルホテル杭州内で盛大なバンケットが開催された.やはり乾杯用の白酒が用意されていて,こちらのアルコール度数は52度.焼酎のアルコール度数は高いのに,千島ビールはやる気が感じられなくて僅かアルコール2%.初日のVIP Receptionでビールとは知らずに飲んだときに,ジュースだと思ったくらいだ.バンケットでは主にワインをいただいた.

バンケットでは,テーブルごとに勝手に飲み始める,食べ始めるというスタイルにも驚いたが,もっと驚いたのが表彰式だ.賞状1枚ごとに,チャイナドレスを着たお姉さんが壇上に上がる.どこに金をかけているのかと...習近平が贅沢禁止だって言っているのに大丈夫なのだろうか.

“表彰式にはチャイナドレス@インターコンチネンタルホテル杭州”
表彰式にはチャイナドレス@インターコンチネンタルホテル杭州

高級ホテルを満喫するとはこういうことなのかなと思いつつ,中国杭州滞在を終えて帰国した.

8月 242015
 

日韓歴史認識問題とは何か
木村幹,ミネルヴァ書房,2014

日韓歴史認識問題とは何か

日韓の間に横たわる歴史認識問題とは,単に,日本と韓国の間に横たわる「過去」にのみ関わる問題ではないのである.それは「過去」以上に,それぞれの「過去」と向き合いつつそれぞれの時代を生きる人々の問題であり,そこにはそれぞれの時代の状況が複雑に反映されている.歴史認識問題とは,戦争や植民地支配といった第二次世界大戦以前,つまり,「戦前」の問題である以上に,その「過去」に対峙してきた第二次世界大戦後,あるいは植民地支配終焉後の,つまりは「戦後」の問題なのである.

本書で木村氏が繰り返し強調しているのは,歴史認識問題は,過去に何が起こったかという問題ではなく,現在の人々が過去とどのように向き合うかという問題であるという点である.だからこそ,歴史問題ではなく,歴史認識問題なのだと言える.

正直なところ,日韓間の政治的問題にはあまり関心がない.しかし,両国でナショナリズムが高まる中で,ますます歴史認識問題の解決が困難になっているように見える今,基本的な事実を確認し,状況を整理しておくために,本書「日韓歴史認識問題とは何か」を読んでみることにした.

木村氏は,韓国や日本の新聞の記事数などから,歴史認識問題が1990年代以降に激化したことを示している.それまでは韓国政府も歴史認識問題を外交問題とはしてこなかった.そこには冷戦下でいかに生き残るかという韓国政府の事情があった.歴史認識問題はその名の通り,現代人による過去への意味づけの問題であるから,政治・経済を含めて,両者のその時々の状況をよく理解する必要がある.特に,事実に基づいて主張や議論を行うことは大切だ.妄想では話にならない.

本書では,歴史認識問題として,歴史教科書問題や従軍慰安婦問題が取り上げられている.これらの問題について分析するにあたり,木村氏は,紛争が起こるために必要な3つの条件に着目している.

ある事象が紛争に発展するためには,最低限,次の三つの条件が必要である.この事象とその意味付けが複数のアクターによって「発見」され,第二にこれらの複数のアクターがこの事象に対して互いに衝突する「認識」を有し,第三に,これらのアクターがその衝突により失われるであろう不利益を上回る,何らかの「重要性」をそこに見出している,ということである.

歴史教科書問題は,日本のマスメディアの誤報で勃発した.まったく情けない話だが,その誤報を起点として,紆余曲折を経て,日本の右傾化の証として批判の対象になっていく.しかし,当時の歴史教科書の記載内容は植民地支配や大陸進出に関する記載を増やす方向にあり,右傾化の証拠となるようなものではなかった.批判は妄言でしかないが,中国や韓国だけでなく,日本国内にも右傾化の証拠と理解している人が多かったと指摘されている.

慰安婦従軍慰安婦問題が大きく取り上げられる昨今であるが,日韓基本条約という制約の下で解決に向けた取り組みを日本政府は色々と行ってきた.結局うまくいかなかった原因としては,短命政権ばかりの日本政府と,日本に対して強硬姿勢でないと支持を失う韓国政府という両政府の事情が挙げられる.宮沢政権は,とりあえず反省と謝罪をするという態度であったため,結果的に「誠意がない」と批判されるはめになった.この「誠意をみせろ」という要求はあまりまともな文脈では見聞きしないが,そこには,法的賠償は求められそうにないが,国民向けによい顔をしないといけない韓国政府の事情があった.そして,各国に評価された河野談話の後,非自民の細川元首相が政権を投げ出してから日韓関係は悪化する.決定的なのは「戦後50周年の終戦記念日にあたって」という村山談話である.歴史認識問題の解決に意気込む村山元首相は,みずからの談話を出すことに執心したが,認識のズレは乗り越えがたく,結局,村山政権の歴史認識は両国間の関係を悪化させることになった.当時の政府内のゴタゴタの原因として脆弱な政権基盤が挙げられる.実力もないのに想いだけで空回りしたというところか.ともかく,結果的に,日本はアジア女性基金を含む外交カードを浪費することになる.

本書を読む中で,断片的に知っていたことが繋がって,朧気ながらも全体像を掴むことができた.その上で,「歴史認識問題とは何か」ということについても,ある程度理解が進んだ.当初の目的通り,自分の頭の中が整理できたので,本書を読んでよかったと思う.ただ,歴史認識問題の解決に向けての見通しは明るいとは言えないようだ.

目次

 

はじめに

序 章 歴史認識問題をめぐる不思議な状況

第1章 歴史認識問題を考えるための理論的枠組み
 1 歴史認識問題の歴史的展開とその原因
 2 価値基準としての歴史認識
 3 「歴史」と「歴史認識」

第2章 歴史認識問題の三要因
 1 世代交代
 2 国際関係の変化
 3 経済政策と冷戦の終焉

第3章 日韓歴史教科書問題
 1 歴史教科書問題の起源
 2 中韓両国の反応
 3 日韓両国政治の流動化の中で

第4章 転換期としての80年代
 1 終焉へ向かう冷戦
 2 日韓関係の変化
 3 『新編日本史』
 4 エリート政治の終焉

第5章 従軍慰安婦問題
 1 55年体制末期の日本政治
 2 第一次加藤談話
 3 宮沢訪韓
 4 「誠意なき謝罪」という言説
 5 日本政府の対応
 6 第二次加藤談話
 7 河野談話
 8 村山談話からアジア女性基金へ

第6章 「失われた20年」の中の歴史認識問題
 1 変化する日本社会
 2 ナショナル・ポピュリズムの時代
 3 ポスト・ポピュリズム時代の歴史認識問題
 4 悪化する日韓関係

終 章 日韓歴史認識問題をどうするか