8月 242015
 

今年の夏休みは何も旅行を計画していないので,近場で遊ぶことにした.選んだのはラフティングだ.関西周辺だと,吉野川の祖谷渓(大歩危・小歩危)が激流で有名だが,京都でも保津川でラフティングができる.保津川は比較的流れが緩やかなので,ラフティングが初めての小学生を連れて行くにはちょうどよいだろう.今回は,折角なので,一日コース(10時集合,16時頃解散)に申し込んだ.

“先端に陣取り激流を下る長男長女@保津川ラフティング”
先端に陣取り激流を下る長男長女@保津川ラフティング

保津川と言えば,保津川下りが有名だろう.トロッコ列車の終着駅がちょうど遊覧船の出発地点になっている.一日コースの保津川ラフティングもここから川を下り始める.

“保津川下りの遊覧船と同じ出発地点@保津川ラフティング”
保津川下りの遊覧船と同じ出発地点@保津川ラフティング

午前中は激流ポイントはなく,緩やかな流れの川をボートで下りながら,基本動作を教えてもらう.以前,祖谷渓(大歩危・小歩危)でラフティングを楽しんだときもそうだったが,インストラクターにはネパール人が多い.我々が乗ったボートのインストラクターは専門学校を卒業したばかりの日本人で,近く,ラフティングの盛んなニュージーランドに修業を積みに行くとのことだった.

“浮かぶ長男@保津川ラフティング”
浮かぶ長男@保津川ラフティング

川を下る途中,時々,ボートから川に下りて遊ぶ.水が冷たくて気持ちいい.ボート対抗で,水を掛け合ったり,レースをしたりもする.実に楽しい.

“自然の中で保津川ラフティング”
自然の中で保津川ラフティング

しばらく川を下ると,周囲を山に囲まれて,自然満喫状態になる.

昼頃に午前の部が終了.一旦上陸して,弁当を食べる.一日コースはのんびりとできるのが良いが,午前中は激流ポイントがほとんどないので,保津川で激流下りがしたい!という人は半日コースに参加するのがよいと思う.

“激流を下る@保津川ラフティング”
激流を下る@保津川ラフティング

“激流を下る@保津川ラフティング”
激流を下る@保津川ラフティング

午後は激流ポイントが続く.みんな大喜びだ.時々,保津川下りの遊覧船が通過していく.保津川では遊覧船が優先なので,遊覧船が通過する間,ボートは端によって観光客に手を振る.ラフティングは楽しく見えるようで,特に若い人達は,遊覧船に乗った後,ラフティングに挑戦することも多いらしい.

“岩から飛び込む@保津川ラフティング”
岩から飛び込む@保津川ラフティング

保津川ラフティングも終盤に差し掛かり,いよいよ大きな岩からの飛び込みポイントだ.水面からの高さは5mくらいあるだろう.まず,長男が飛び込む.

“岩から飛び込む@保津川ラフティング”
岩から飛び込む@保津川ラフティング

続いて,長女も飛び込むと言った.ビビッて飛び込まないだろうと思っていただけに,これには驚いた.岩の先端に立つと,怖くてブルブルと震えていたが,3,2,1,0!の掛け声と共に,見事にダイブした.大したものだ.

“川に落ちるまで前傾姿勢で耐える@保津川ラフティング”
川に落ちるまで前傾姿勢で耐える@保津川ラフティング

その後も川を下りながら,ライフジャケットにロープをくくりつけて,水面に向かって超前傾姿勢を取ってみたりと,色々と遊んだ.

“帰りは電車@保津川ラフティング”
帰りは電車@保津川ラフティング

ゴール地点で川岸に上陸すると,パドルなど道具一式を持って,JR山陰線に乗って集合場所に戻った.こんな集団が電車に乗り込んできたら,驚く乗客も多いだろう.

大いに楽しんだ一日だった.子供たちも「またラフティングしたい!」と言っている.

8月 242015
 

中国CCCと同時開催されたSICE Annual Conferenceに参加するため,7月27日から31日までの5日間,中国杭州のインターコンチネンタルホテル杭州に滞在した.杭州空港からホテルまでは予め手配してもらっていた車で移動したので,何の問題もなく,快適だった.

“夜のインターコンチネンタルホテル杭州”
夜のインターコンチネンタルホテル杭州

“昼のインターコンチネンタルホテル杭州”
昼のインターコンチネンタルホテル杭州

今回の会場はインターコンチネンタルホテル杭州だが,このホテルの外観は特別だ.まさに球である.

低層階にはホールや会議室,レストラン等があり,最上階にはフィットネスセンターやプール,スパがある.客室はその間に球面に沿って配置されていて,ホテル内部は巨大な空洞になっている.

“巨大な吹き抜け@インターコンチネンタルホテル杭州”
巨大な吹き抜け@インターコンチネンタルホテル杭州

クラブフロアには泊まらなかったが,さすがインターコンチネンタルホテルだけあって,一般の客室でも広くて快適だ.今回は,窓から川が見えるツインの部屋に宿泊した.荷物置き場としてしか使わなかったが,窓際には大きな丸いソファと広い作業机がある.

“広い客室@インターコンチネンタルホテル杭州”
広い客室@インターコンチネンタルホテル杭州

“丸いソファ@インターコンチネンタルホテル杭州”
丸いソファ@インターコンチネンタルホテル杭州

“広い作業机@インターコンチネンタルホテル杭州”
広い作業机@インターコンチネンタルホテル杭州

浴槽とシャワールームがわかれている浴室は,なんとガラス張りで,浴室から部屋を見渡すことができる.もちろん逆も.そして,視界を遮るためのブラインドは自動開閉式で浴室内で操作できる.部屋のカーテンも自動だ.なんともゴージャスなつくりになっている.

“ガラス張りの浴室@インターコンチネンタルホテル杭州”
ガラス張りの浴室@インターコンチネンタルホテル杭州

実は今回,27日夜にVIP Receptionに参加するため近隣の大学にバスで連れて行ってもらった以外は,帰国するために杭州空港に向かうまでの4日間,一歩もホテルの外に出なかった.会期中,昼食も夕食もすべて用意されていて,外に食べに行く必要がなかったことが主たる理由だ.しかし,いつもなら1日は街を歩き回るのだが,杭州には一度来たことがあり,そのときに西湖も観たので,もういいかという気持になったことが大きい.それでもホテルの近くにあるコンビニにくらいは行きそうなものだが,それすらせず,本当にホテルから一歩も出なかった.我ながら歳をとったなと思わざるをえない.

“何度かお世話になったバー@インターコンチネンタルホテル杭州”
何度かお世話になったバー@インターコンチネンタルホテル杭州

昼食には中華料理の弁当が,夕食には中華料理のビュッフェが用意されていたので,ホテル内のレストランも利用しなかった.その代わりというわけでもないが,ホテル内のロビーバーを何回か利用した.どれだけの参加者が知っていたのかわからないが,実は,インターコンチネンタルホテルグループの会員になっていると,チェックインするときに,ウェルカムドリンク券をもらえる.今回の滞在中は,それでビールを飲んだというわけだ.その他,いつもお世話になっているM先生と2人でワインのボトルを空けたりした.

外出しない代わりに,最上階のフィットネスセンターには大変お世話になった.朝晩の1日2回,およそ30分ずつを目処にバイクを漕いだ.ホテルから一歩も外に出なかったが,これで確実に400Kcal/day以上の運動をした.

“CCC+SICEバンケットの飲み物@インターコンチネンタルホテル杭州”
CCC+SICEバンケットの飲み物@インターコンチネンタルホテル杭州

SICE Annual Conferenceの内容はともかく,最終日にはインターコンチネンタルホテル杭州内で盛大なバンケットが開催された.やはり乾杯用の白酒が用意されていて,こちらのアルコール度数は52度.焼酎のアルコール度数は高いのに,千島ビールはやる気が感じられなくて僅かアルコール2%.初日のVIP Receptionでビールとは知らずに飲んだときに,ジュースだと思ったくらいだ.バンケットでは主にワインをいただいた.

バンケットでは,テーブルごとに勝手に飲み始める,食べ始めるというスタイルにも驚いたが,もっと驚いたのが表彰式だ.賞状1枚ごとに,チャイナドレスを着たお姉さんが壇上に上がる.どこに金をかけているのかと...習近平が贅沢禁止だって言っているのに大丈夫なのだろうか.

“表彰式にはチャイナドレス@インターコンチネンタルホテル杭州”
表彰式にはチャイナドレス@インターコンチネンタルホテル杭州

高級ホテルを満喫するとはこういうことなのかなと思いつつ,中国杭州滞在を終えて帰国した.

8月 242015
 

日韓歴史認識問題とは何か
木村幹,ミネルヴァ書房,2014

日韓歴史認識問題とは何か

日韓の間に横たわる歴史認識問題とは,単に,日本と韓国の間に横たわる「過去」にのみ関わる問題ではないのである.それは「過去」以上に,それぞれの「過去」と向き合いつつそれぞれの時代を生きる人々の問題であり,そこにはそれぞれの時代の状況が複雑に反映されている.歴史認識問題とは,戦争や植民地支配といった第二次世界大戦以前,つまり,「戦前」の問題である以上に,その「過去」に対峙してきた第二次世界大戦後,あるいは植民地支配終焉後の,つまりは「戦後」の問題なのである.

本書で木村氏が繰り返し強調しているのは,歴史認識問題は,過去に何が起こったかという問題ではなく,現在の人々が過去とどのように向き合うかという問題であるという点である.だからこそ,歴史問題ではなく,歴史認識問題なのだと言える.

正直なところ,日韓間の政治的問題にはあまり関心がない.しかし,両国でナショナリズムが高まる中で,ますます歴史認識問題の解決が困難になっているように見える今,基本的な事実を確認し,状況を整理しておくために,本書「日韓歴史認識問題とは何か」を読んでみることにした.

木村氏は,韓国や日本の新聞の記事数などから,歴史認識問題が1990年代以降に激化したことを示している.それまでは韓国政府も歴史認識問題を外交問題とはしてこなかった.そこには冷戦下でいかに生き残るかという韓国政府の事情があった.歴史認識問題はその名の通り,現代人による過去への意味づけの問題であるから,政治・経済を含めて,両者のその時々の状況をよく理解する必要がある.特に,事実に基づいて主張や議論を行うことは大切だ.妄想では話にならない.

本書では,歴史認識問題として,歴史教科書問題や従軍慰安婦問題が取り上げられている.これらの問題について分析するにあたり,木村氏は,紛争が起こるために必要な3つの条件に着目している.

ある事象が紛争に発展するためには,最低限,次の三つの条件が必要である.この事象とその意味付けが複数のアクターによって「発見」され,第二にこれらの複数のアクターがこの事象に対して互いに衝突する「認識」を有し,第三に,これらのアクターがその衝突により失われるであろう不利益を上回る,何らかの「重要性」をそこに見出している,ということである.

歴史教科書問題は,日本のマスメディアの誤報で勃発した.まったく情けない話だが,その誤報を起点として,紆余曲折を経て,日本の右傾化の証として批判の対象になっていく.しかし,当時の歴史教科書の記載内容は植民地支配や大陸進出に関する記載を増やす方向にあり,右傾化の証拠となるようなものではなかった.批判は妄言でしかないが,中国や韓国だけでなく,日本国内にも右傾化の証拠と理解している人が多かったと指摘されている.

慰安婦従軍慰安婦問題が大きく取り上げられる昨今であるが,日韓基本条約という制約の下で解決に向けた取り組みを日本政府は色々と行ってきた.結局うまくいかなかった原因としては,短命政権ばかりの日本政府と,日本に対して強硬姿勢でないと支持を失う韓国政府という両政府の事情が挙げられる.宮沢政権は,とりあえず反省と謝罪をするという態度であったため,結果的に「誠意がない」と批判されるはめになった.この「誠意をみせろ」という要求はあまりまともな文脈では見聞きしないが,そこには,法的賠償は求められそうにないが,国民向けによい顔をしないといけない韓国政府の事情があった.そして,各国に評価された河野談話の後,非自民の細川元首相が政権を投げ出してから日韓関係は悪化する.決定的なのは「戦後50周年の終戦記念日にあたって」という村山談話である.歴史認識問題の解決に意気込む村山元首相は,みずからの談話を出すことに執心したが,認識のズレは乗り越えがたく,結局,村山政権の歴史認識は両国間の関係を悪化させることになった.当時の政府内のゴタゴタの原因として脆弱な政権基盤が挙げられる.実力もないのに想いだけで空回りしたというところか.ともかく,結果的に,日本はアジア女性基金を含む外交カードを浪費することになる.

本書を読む中で,断片的に知っていたことが繋がって,朧気ながらも全体像を掴むことができた.その上で,「歴史認識問題とは何か」ということについても,ある程度理解が進んだ.当初の目的通り,自分の頭の中が整理できたので,本書を読んでよかったと思う.ただ,歴史認識問題の解決に向けての見通しは明るいとは言えないようだ.

目次

 

はじめに

序 章 歴史認識問題をめぐる不思議な状況

第1章 歴史認識問題を考えるための理論的枠組み
 1 歴史認識問題の歴史的展開とその原因
 2 価値基準としての歴史認識
 3 「歴史」と「歴史認識」

第2章 歴史認識問題の三要因
 1 世代交代
 2 国際関係の変化
 3 経済政策と冷戦の終焉

第3章 日韓歴史教科書問題
 1 歴史教科書問題の起源
 2 中韓両国の反応
 3 日韓両国政治の流動化の中で

第4章 転換期としての80年代
 1 終焉へ向かう冷戦
 2 日韓関係の変化
 3 『新編日本史』
 4 エリート政治の終焉

第5章 従軍慰安婦問題
 1 55年体制末期の日本政治
 2 第一次加藤談話
 3 宮沢訪韓
 4 「誠意なき謝罪」という言説
 5 日本政府の対応
 6 第二次加藤談話
 7 河野談話
 8 村山談話からアジア女性基金へ

第6章 「失われた20年」の中の歴史認識問題
 1 変化する日本社会
 2 ナショナル・ポピュリズムの時代
 3 ポスト・ポピュリズム時代の歴史認識問題
 4 悪化する日韓関係

終 章 日韓歴史認識問題をどうするか