予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版
Dan Ariely(著),熊谷淳子(訳),早川書房,2010
プラセボ効果というのを知っているだろうか.例えば,成分的には何の効果もない錠剤(片栗粉とか)でも,「凄く効く新薬ですよ」と聡明そうな医師から処方されると,実際に病気を治したり痛みを軽減したりといった効果が現れたりする.このため,新薬の開発に際しては,プラセボではなく,本当に効果があるかどうかが調べられる.
このプラセボは価格の違いによっても発揮される.高い薬の方が安い薬よりも効くのだ.効いた気がするだけでなく,実際に効果があるのだ.巧妙な実験を行うことで,この事実が確認されているのだが,本書「予想どおりに不合理」に記載されたこの事実を知って,ジェネリック医薬品のことが気になった.ジェネリック医薬品は新薬(先発医薬品)と主成分は同じだが価格が圧倒的に安いため,国家財政を圧迫している医療費を下げたい政府も強く推奨している.しかし,実験結果から示されているように,「安い」ということが「効きにくい」ということを意味するのだとしたら,そして実際にそうなのだとしたら,果たしてジェネリック医薬品はお得なのだろうか.なかなか興味深い問題だ.
さて,進捗どうですか?という重圧に日夜苛まれている皆さん.徹夜で実験するときに,論文を執筆するときに,安売りされているエナジードリンクに手を出してはいけませんよ.値引きされたものの効果はそれだけ低くなるのだから.
わたしたちは割り引きしてもらうたびに,利益の少ないものが手にはいるよう運命づけられているのだろうか.不合理な直観に頼っているかぎり,そのとおりだ.わたしたちは値引きされたものを見ると,直観的に定価のものより品質が劣っていると判断する.そして,ほんとうにその程度のものにしてしまう.
いくつかの実験結果から導かれた結論がこれだ.このような事例が多数紹介されているのが,本書「予想どおりに不合理」である.実に面白い.実験から導かれる結論も興味深いのだが,何かを確認するために計画される実験の内容そのものがとても面白い.
次のような結論も導かれている.
人々はチャンスがあればごまかしをするが,けっしてめいっぱいごまかすわけではない.また,いったん正直さについて考えだすと—十戒を思いだすにしろ,ちょっとした文面に署名するにしろ—ごまかしを完全にやめる.つまり,わたしたちは何かの倫理思想の水準から離れると,不正直に迷い込む.しかし,誘惑に駆られている瞬間に道徳心を呼びおこされると,正直になる可能性がずっと高くなる.
(中略)しかし,ときおり宣誓し,ときおり規則厳守を表明するだけでは不十分だ.わたしたちの実験から,宣誓や規則を思いだすのは,誘惑の瞬間か直前でなければ意味がないのはあきらかだ.
これは,MITなどの全米トップクラスの大学生や大学院生を対象に,不正を誘発するような状況を作り出し,エリートである彼らが不正に手を染めるかどうかを調査した実験の結果だ.果たして,彼らは不正を働いた.テストの点数を誤魔化したのだ.ところが,テスト開始時に十戒を思い浮かべさせると(必ずしも内容を思い出す必要はない),あるいは倫理規定に署名をさせると(架空のものでよい),不正は綺麗になくなる.
この結果から,バカ大学教員が不正を起こす度に規則を厳しくして事務手続きを煩雑にして全体の効率を落とす今のやり方が無意味であることがわかる.はっきりと「意味がない」と本書に書かれている.
我々の日常の選択についても示唆に富む実験結果が紹介されてる.アンカリング効果だ.我々の選択は,無意味な先見情報に引っ張られる.無意識のうちに.これを断ち切るのは非常に困難なことに思える.
ささいなものから重大なものまで,わたしたちの選択にアンカリングが関係していることがわかる.わたしたちは,さまざまなことをすべきか否か決断する.・・・経済理論によれば,こうした決断は基本的な価値観—好きか嫌いか—にもとづいてなされる.
だが,これまで紹介した人生に関する実験からはどんな教訓が得られただろう.まさかこれほど注意深く築いてきた人生が,ほとんど恣意の一貫性の産物にすぎないのだろうか.過去のどこかで恣意的な決断をし,以来ずっと,最初の決断が賢明だったと思いこんで,それを基盤に人生を築いているのだろうか.わたしたちは,そんなふうにして職業や結婚相手や服装や髪型を選ぶものなのか.そもそも最初の決断は賢明だったのか.それとも,偶然に遭遇した第一印象が勝手気ままにふるまった部分があるのか.
最初の決断の持つ力は,その後何年にもわたって未来の決断に影響を与えるほど長くあとを引くこともある.これだけの効力をもつのだから,最初の決断はきわめて重要であり,十分な注意を払うべきだ.
ソクラテスは,吟味されない人生は生きる価値がないと言った.わたしたちもそろそろ,自分の人生における刷り込みやアンカーをよくよく検討していいころだ.
これらの他にも興味深い事例が多数紹介されてるので,興味のある人には,是非,本書を読んでもらいたい.楽しめること間違いなしだ.いくつもの実験結果から導かれた本書の結論を紹介しておこう
この本で紹介した研究からひとつ重要な教訓を引きだすとしたら,わたしたちはみんな,自分がなんの力で動かされているかほとんどわかっていないゲームの駒である,ということだろう.わたしたちはたいてい,自分が舵を握っていて,自分がくだす決断も自分が進む人生の進路も,最終的に自分でコントロールしていると考える.しかし,悲しいかな,こう感じるのは現実というより願望—自分をどんな人間だと思いたいか—によるところが大きい.
もうひとつの重要な教訓は,たとえ不合理があたりまえのことであっても,だからどうしようもないというわけではない,ということだ.いつどこでまちがった決断をする恐れがあるかを理解しておけば,もっと慎重になって,決断を見なおすように努力することもできるし,科学技術を使ってこの生まれながらの弱点を克服することもできる.
人間がいかに不合理に行動するかがよくわかる.
このような興味深い実験の他に,私にとって印象深かったのは,著者が科学に引き込まれた経緯だ.こう紹介されている.
その最初の学期にとった授業が,研究というものに対するわたしの考えをすっかり変え,その後の人生をほとんど決めてしまった.ハナン・フレンク教授による大脳生理学の授業だ.脳の働きについての興味をそそられる講義内容に加えて,わたしがいちばん感銘を受けたのは,疑問や異説に対するフレンク教授の姿勢だった.わたしは何度も授業中に手をあげ,教授の研究室に立ちよっては,授業で説明された実験結果はこうも解釈できるのではないかと提案した.すると教授は,わたしの仮説もたしかにひとつの可能性だ(見込みは低いが,それでも可能性は可能性だ)と答えて,その説と従来の説のちがいを示せるような実験を考えてごらんとけしかけた.
そのような実験を考えつくのはたしかに簡単ではなかった.だが,科学は実験の積みかさねであり,これにたずさわる人はだれでも(たとえわたしのような新入生でも),仮説を検証する実験方法を見つけることができるなら新説を打ちたてられるのだという考えは,新たな世界を開いてくれた.
出会いの重要さを思い起こさせてくれるエピソードだ.
目次
- 相対性の真相
- 需要と供給の誤謬
- ゼロコストのコスト
- 社会規範のコスト
- 無料のクッキーの力
- 性的興奮の影響
- 先延ばしの問題と自制心
- 高価な所有意識
- 扉をあけておく
- 予測の効果
- 価格の力
- 不信の力
- 私たちの品性について その1
- 私たちの品性について その2
- ビールと無料のランチ