4月 232016
 

四肢切断 中村久子先生の一生
黒瀬昇次郎, 致知出版社, 2012

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中村久子は明治三十年に生まれ,畳み職人の父と母にたいそう可愛がられていた.ところが,三歳で突発性脱疽となり,ある日,左手がポロッともげ落ちてしまう.もはや手足を切断するしかないという状況で,両手の肘より先と両足の膝より下を切り落とされることになった.なんとか一命をとりとめたものの,達磨のような姿で生きていかなくてはならない.明治から,大正,昭和にかけての頃である.差別も凄まじかっただろう.さらに,七歳で父が急死し,母は無理心中も考えたという.

自分がいなくなっても生きていけるようにと母に異常なほど厳しく育てられた久子は,二十歳のとき,これ以上母や義理の父に迷惑をかけまいと,一人で生きていくことを決意する.それでも,身体障害者に国から支給される生活保護費「扶助料」は受け取らず,自分自身を見世物小屋に売り,自分の治療費のために母が背負った借金を返済した上で,達磨姿の見世物芸人として奴隷のような生活を送る道を選ぶ.

その後の人生も凄惨そのものである.しかし,

両手両足を切り落とされたこの体こそが,自分に人間というものを,人間としてどう生きるかということを教えてくれた,最高最大の先生であったのだ

という境地にまでいたり,高潔に生きていく.重度の障害者でありながら凜々しく生きる座古愛子という人物や親鸞の教えとの出会いが強く影響したという.そして,41歳のとき,中村久子はヘレン・ケラーと対面する.身体障害者を励ますために来日していたヘレン・ケラーは中村久子の全身に手で触れ,泣きながら抱きしめたという.

その後,「人生に絶望なし.いかなる人生にも決して絶望はない」と,身体障害者の自立を訴える活動に身を投じ,障害者に人間の誇りを訴え続けた.昭和36年,中村久子は身体障害者の模範として天皇陛下に拝謁し,お言葉をいただいている.その中村久子が「ある ある ある」という詩を残している.

さわやかな秋の朝

「タオル取ってちょうだい」

「おーい」と答える良人がある

「ハーイ」という娘がおる

歯をみがく義歯の取り外しかおを洗う

短いけれど指のない

まるいつよい手が何でもしてくれる

断端に骨のないやわらかい腕もある

何でもしてくれる短い手もある

あるあるある

みんなある

さわやかな秋の朝

知足者富とはまさにこのことだと思う.

本書「四肢切断 中村久子先生の一生」は,この中村久子に傾倒し,その生涯を調べ伝えることに尽力した著者の講演録である.

目次

  1. 達磨のように
  2. 死の断崖に立つ
  3. 厳しい教育
  4. 見せ物芸人
  5. 続く悲運
  6. 向上心
  7. 座古先生との出会い
  8. 生まれて、生きて、生かされる
  9. 誇りと厳しさ
  10. ある、ある、ある
  11. あとがき

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