12月 262016
 

コーチングの教科書
伊藤守,アスペクト,2010

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図書館に予約した本を取りに行ったとき,たまたま「本日返却された本」の棚にあって,「コーチング」という言葉に興味を引かれて読んでみることにしたのが本書「コーチングの教科書」だ.コーチングは様々な場面で有効だとされるが,本書は主に職場での上司と部下の関係を想定している.読んでみて,自分の立場にあてはめてみると,大学の指導教員と学生の関係にも使えるアドバイスが多いと感じた.

そもそもコーチングとは何か.本書では,「コーチングとは,コミュニケーションを交わすことを通して,相手の目標達成に必要なスキルや知識を備えさせるプロセスです」と定義されている.そのコーチングには次のような3つの原則があるらしい.

  1. インタラクティブ(双方向)であること
  2. オン・ゴーイング(現在進行形)であること
  3. テーラーメード(個別対応)であること

容易に想像できるように,コーチングに最も必要なのは聞くことであり,コーチは良い聞き手でなければならない.そのための条件として,著者は次の5つを挙げている.

  1. 話をさえぎらず,最後まで聞く
  2. 先走って結論を出さない
  3. 言語以外のメッセージを聞き分ける
  4. 相手の言葉をリフレインする
  5. 質問をする

さらに,話を聞くときに重要なこととして,著者は次の5つも挙げている.

  1. 相手が十分に話せるように待つ
  2. わかったふりをせず正直に
  3. 相手の求めていることを聞く
  4. 訂正や批判などのネガティブな反応をしない
  5. 相手の話に興味を持ち,相づちを打つ

条件と重要なことの関係が曖昧だが,ともかく,話を聞くときにはこの10項目には気を付けた方が良いようだ.実際,どこまでできているかは怪しいものの,これらのうちいくつかについては私も意識するようにしている.なお,「言語以外のメッセージを聞き分ける」というのは苦手だ.

コーチングにおいて,「聞く能力」と双璧をなすのが「効果的な質問を創る能力」であり,コーチたるものには,相手に考えさせる,あるいは気付きを促すといった目的をもって質問することが求められると著者は指摘している.質問にも3原則があり,さらに効果的な質問の3条件があるようだ.相変わらず,原則と条件の違いがよく分からないが,順番に示しておく.まず質問の3原則から.

  1. 質問は1回にひとつだけにする
  2. 質問の回数を重ねる
  3. お礼を伝える

質問は1回にひとつだけにするのは,質問した相手に考える時間を与えるために必要なことだ.学会などでも,一度に複数の質問をして,講演者に「質問は何でしたっけ?」と返されている質問者は少なくない.質問の回数を重ねるのは,相手への関心を示し,相手についての理解をより深めることに繋がる.そして,お礼を伝えることで,相手は「自分の話が受け入れられた」という感覚を得られる.具体的には「ありがとう」や「話を聞けてよかった」と言えばいい.

続いて,効果的な質問の3条件は以下の通り.

  1. 質問が機能する「場」が創れていること
  2. 質問の目的が相手と共有されていること
  3. 信頼関係が成り立っていること

ここまでは聞く能力と質問する能力についてだったが,他にも,リクエストする能力がコーチには必要とされる.特に本書では,リクエストと指示命令との違いが強調されている.

部下に毅然とリクエストする能力は優れたコーチには欠かすことができません.

リクエストは,指示命令とは異なります.リクエストの目的は,協力の要請をすることと,プロジェクトの進行に対する障害を取り除くことにあります.前者は「〜してほしい」という言葉で表され,後者は「〜してほしくない」という言葉で表されます.(中略)リクエストするときには,まずその目的を明確に認識し,指示命令にならないように気をつけることが大切です.

さらにフィードバックも重要な役割を担う.ただし,以下の点に留意してフィードバックを行う必要があると指摘されている.

  1. 相手をコントロールするために行わないこと
  2. 相手を攻撃するために行わないこと
  3. 具体的,記述的であること
  4. 必要性が感じられること
  5. 相手の人格や性格ではなく,行動について事実を述べること
  6. 自分の責任で行うこと
  7. 適切なタイミングであること
  8. 伝わっているかどうかの確認をすること

なるほどと納得することばかりではあるが,これらを実践できているかどうかとなると相当に怪しい.だからこそ,コーチングを学ぶ必要もあるのだろう.

最後に,優秀な人材を育てたいなら肝に銘じておくべきことを引用する.

意欲も能力も高い社員を育てたいと思うなら,常に学習する機会を与えること.それが一番の方法です.学習する機会を与えずに,意欲に働きかけたり,努力ばかり求めたりしても意味がないのです.(中略)私たちは相手に対して,とくに意味もなく努力やがんばりを強いてしまいがちですが,努力は強要するものではありません.具体的な成長の機会を与える.そのことで,努力する楽しさや,面白さを実感できるところへ運ぶのが,上司の仕事なのです.

もちろん,教員の仕事と読み替えることもできる.

目次

コーチングの基本(コーチングとは何か

  • コーチングは発見されたもの
  • コーチングが機能するとき
  • コーチングスキル「聞く」
  • 人はそれぞれ違う
  • アクノレッジメント
  • リクエスト“要望”する
  • フィールドバックする
  • コーチの質問
  • 質問の原則
  • 質問を創り出す能力
  • チャンクを活用する

コーチングの実践(自分のための質問

  • 質問をして、そして聞く
  • 組織のゴール、個人のゴール
  • 効果的なゴールセッティング
  • ゴールのその先を見せる
  • 上司に求められる能力
  • 部下には話さない
  • イエスを要求しない
  • 部下のデータベースを持つ
  • ヒューマン・モニュメント
  • 成長する機会を与える
  • モチベーションを維持するコミュニケーション

コーチングの応用(会議でのコミュニケーション

  • 自分への効果的な質問
  • 上司への効果的な質問
  • パラダイムシフト
  • オープン・シークレット
  • コミュニケーションスキル
  • コミュニケーションの勝ち
  • コーチングカルチャーを築く
  • 組織が老化したときは
  • 経営者にコーチ
  • コーチのためのチェックリスト
12月 122016
 

当研究室では,大学院修士課程の学生に対して,在学中に一回は海外で開催される国際会議で発表するようにと言っている.国際会議で発表するためには,事前に研究論文を投稿し,講演スライドやポスターを作成して,徹底的に練習した上で学会に参加しなければならない.もちろん,学会参加費や交通費や宿泊費など一切の費用は研究室で負担するが,それとは別に,個人的に,頑張った学生の慰労会を開催することにしている.

何も条件は提示せずに,学生に慰労会を開催するレストランを選んでもらう.今回は,ヒューストンで最高レベルに評価の高いPappas Bros. Steakhouseというステーキハウスに決まった.熟成肉が美味しいと評判のようだ.午後7時開始で予約する.

ヒューストンで一番人気のステーキハウスの熟成肉
ヒューストンで一番人気のステーキハウスの熟成肉

Pappas Bros. Steakhouse - Houston Downtown
Pappas Bros. Steakhouse – Houston Downtown

高級店ではあるが,店内はかなり賑やかだ.みんな大きな声で話している.火曜日でもテーブルは完全に埋まっていた.

とりあえず生ビールで乾杯して,慰労会を始めた.

ヒューストンでの最後の晩餐をビールで始める
ヒューストンでの最後の晩餐をビールで始める

アメリカのレストランで供される食事は量が多すぎるので,普段はメインディッシュだけ,あるいはサラダしか頼まないことも多いのだが,ヒューストンでの最後の晩餐なので,最初にスープを注文した.店員が勧めてくれたスープで,説明を聞いても何かよくわからなかったが,非常に美味しかった.

非常に美味しかった本日のスープ
非常に美味しかった本日のスープ

ビールを飲み終えて,スープも食べ終わったところで,肉料理に合わせて赤ワインを頼むことにする.何十ページもある分厚いワインリストを開くと,スッとソムリエが近付いてきた.実に本格的だ.折角なのでアメリカ産の赤ワインにしようとリストを眺めて,価格が凄いことに気付いた.100US$以下のワインは少数派で,多くは200〜500US$くらい,中には2000US$を超えるようなものもある.同じ銘柄のワインでも年によって価格は全然違う.ちなみに,OpusOne Overtureが240US$くらいだった.

しっかりした赤ワインを飲みたいという参加メンバーの意見を踏まえて,「カリフォルニアの赤,フルボディ,100ドル以下でお願いします」とソムリエに伝えたところ,「90ドルの素晴らしい赤ワインがあります」と一瞬で回答が返ってきた.「試されますか?気に入らなければ違うものを選んでいただいて結構ですから」と勧められ,WINDOW PANE 2013をお願いした.

ワインのことはよく知らないけれども,こちらの希望通りの味で,とても美味しかった.

カリフォルニアの赤,フルボディ,100US$以下でソムリエに選んでもらったワイン
カリフォルニアの赤,フルボディ,100US$以下でソムリエに選んでもらったワイン

非常に美味しかったWINDOW PANE 2013
非常に美味しかったWINDOW PANE 2013

そして,メインの熟成肉には10oz.のフィレ肉(FILET MIGNON)を選んだ.8oz.や12oz.のフィレの他にも,リブアイやニューヨークストリップ,さらには骨付きもあったが,美味しく食べられる量にしておくに限るというわけで,今回は10oz.のフィレにした.ちょうど良い量で大正解だ.付け合わせには,アスパラガスやマッシュポテトなど4種類の野菜を頼んだが,あまりに量が多すぎて食べ切れなかった.

Dry Aged Filet Mignon 10oz.
Dry Aged Filet Mignon 10oz.

最後はデザート.学生はそれぞれクリームブリュレとシャーベットを注文したが,クリームブリュレはともかく,シャーベットはもはやシャーベットがおまけでしかないレベルだ.アメリカ恐るべし.なお,私はデザートワインにした.いくつか種類があったが,どれも1グラス15US$くらいなので高級だ.

デザートワイン
デザートワイン

クリームブリュレ
クリームブリュレ

シャーベット(なのか,これは?)
シャーベット(なのか,これは?)

スープ,熟成肉ステーキ,野菜,デザート,そしてワインと,本当に美味しく大満足の慰労会,そして最後の晩餐だった.

1人100ドルを超す覚悟はいるが,Pappas Bros. Steakhouseはお勧めだ.

12月 112016
 

ヒューストンで開催されたアメリカてんかん学会(AES)年会に参加してきました.学会開催中にNBAプロバスケットボールの試合が学会会場に近いトヨタセンターで開催されるという情報を掴んだので,事前にチケットを入手して,学生も含めて4人で観戦してきました.

試合は,ヒューストン・ロケッツ(Houston Rockets)対ボストン・セルティックス(Boston Celtics).シートは,Section 103, Row 16, Seats 9, 10, 11, 12で,価格はシートあたりUS$127.00(チケット$119.00+手数料$8.00)でした.日本円換算で14,786円ですから,決して安くはないですね.

Houston Rockets vs Boston Celtics @Toyota Center
Houston Rockets vs Boston Celtics @Toyota Center

トヨタセンター@ヒューストン
トヨタセンター@ヒューストン

第1クォーターはヒューストン・ロケッツが26:17でリード,第2クォーターも58:48とリードして終了し,このまま楽勝かと思いましたが,第3クォーターには77:83とボストン・セルティックスに逆転され,シーソーゲームの大接戦になり,地元ロケッツファンも声を荒げる状況になりました.その中でも,ヒューストン・ロケッツのガード,13番のJames Hardenのシューティングが抜群に安定感がありました.フリースローは全く外しません.

第4クォーターで盛り上がるロケッツ応援団
第4クォーターで盛り上がるロケッツ応援団

シーソーゲームの末,1点差で地元ロケッツが劇的勝利
シーソーゲームの末,1点差で地元ロケッツが劇的勝利

Houston Rockets 107 vs Boston Celtics 106
Houston Rockets 107 vs Boston Celtics 106

最終的に,ヒューストン・ロケッツがボストン・セルティックスに1点差で競り勝ちました.会場は大いに盛り上がり,大満足の観戦となりました.

観客全員がプレゼントにもらったレジェンドの首振り人形
観客全員がプレゼントにもらったレジェンドの首振り人形

試合開始前に,入場者全員にプレゼントが配られました.ホテルに戻ってから箱を空けてみると,ヒューストン.ロケッツのレジェンドの首振り人形でした.

12月 112016
 

IoTの衝撃 ― 競合が変わる、ビジネスモデルが変わる
DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部, ダイヤモンド社, 2016

IoTの衝撃,人工知能

話題沸騰で、売り切れた『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2015年4月号の特集に、経営学界の第1人者マイケル・ポーター・ハーバード・ビジネス・スクール教授の続編論文をプラスして書籍化しました。IoT(モノのインターネット)の進展で、企業経営や競争戦略はどう変わるか。ポーター教授に加えて、「日本のインターネットの父」と呼ばれる村井純・慶應義塾大学教授、アレックス・ペントランド・MITメディアラボ教授などの碩学が、第3次IT革命とその影響を徹底分析しています。

この紹介文を見て読んでみようと思い,「人工知能 ― 機械といかに向き合うか」と一緒に購入してみた.

実際に読んでみたのだが,衝撃的なほど面白くなかった.ハーバード・ビジネス・レビューなのだから,これはビジネスや経営といった観点から読むべきものであって,私のように技術的な視点を求めるのがおかしいということなのかもしれないが,そうだとしたら,この程度の文章を読んで理解した気になって語られるビジネスとは何なのかとも思う.とりあえず,ある程度IoTを知っている人なら読む必要はないと思った.

目次

第1章 IoTという新たな産業革命

  • インターネットの発展はいったんの完結を迎えた
  • IoTを実現するために乗り越えるべき2つの課題
  • IoTでサービスの概念が変わる
  • モノづくりの変革で「QIP」はどう変わるのか
  • 社会は技術とともに発展する

第2章 IoT時代の競争戦略

  • 「モノ」の本質が変化し始めている
  • ITを起点とする競争の第三波
  • 接続機能を持つスマート製品とは何か
  • 接続機能を持つスマート製品は何ができるのか
  • 業界構造の変化
  • 業界間の新しい境界と「システムの複合体」
  • 接続機能を持つスマート製品と競争優位
  • 戦略への意味合い
  • より大きな事業機会

第3章 IoT時代の製造業

  • 新製品の性能
  • メーカーの変容
  • バリューチェーンの変化
  • 組織形態への意味合い
  • 新組織への移行を実施する
  • 幅広い意味合い

第4章 GEが目指すインダストリアル・インターネット

  • デジタルがあらゆる場面で活用される時代の到来
  • 価値の創出と回収を再考する
  • GEの変革
  • GEの枠を超える
  • デジタルユビキティへのアプローチ
  • 新たな仕組みと新たなリスク

第5章 【インタビュー】データは誰のものか

  • データの収集をどこまで許すか
  • 個人データの扱いを当人の管理下に置く
  • データをかき集める戦略は結局のところ高くつく
12月 082016
 

ビッグデータと人工知能 – 可能性と罠を見極める
西垣通, 中央公論新社, 2016

book

第三次人工知能(Artificial Intelligence: AI)ブームが到来し,そのエンジン役であるビッグデータ(Big Data)解析や深層学習(Deep Learning)が耳目を集めている.チェス,将棋,碁といった頭脳ゲームで機械が人間を打ち負かすようになり,機械翻訳の水準も向上し,ある用途に特化して用いられる弱い人工知能(weak AI)は既に身近なものになってきた.さらには,使用目的を限定しない汎用人工知能(Artificial General Intelligence: AGI)や人間の知能を遙かに凌ぐ超人工知能(Artificial Super Intelligence)の実現について,人工知能専門家ではない人達が語るようになっている.商魂たくましい企業の中には,何にでも人工知能と名付ければ良いと思っているかのようなところや,汎用人工知能を名乗って勇み足を咎められているようなところもあるが,それくらいに人工知能が広く世間に受け入れられるようになっている.今後ますます人工知能が進歩すると,その社会への影響は非常に大きなものになると考えられている.最近,大きな話題になったのは,事務職を筆頭にホワイトカラーの大部分が人工知能に職を奪われてしまうという報告だ.一般事務職だけでなく,弁護士や会計士など安定かつ高給な職業と思われてきた士業も人工知能に取って代わられると指摘され,注目を集めた.

このような背景のなか,本書「ビッグデータと人工知能」では,その副題「可能性と罠を見極める」にある通り,人工知能の可能性を認めながらも,人工知能が人間に取って代われるかのような将来像を徹底的に否定している.その批判の根底にあるのは,自律的な生物と他律的な機械とは根本的に異なるという認識だ.人工知能がどれだけ発展しても,みずから目標を設定したり,感情や意識を持ったりするようなことはないと断じる.深層学習はパターン認識技術にブレークスルーを起こしたが,画像処理にせよ自然言語処理にせよ,パターンを照合しているだけで,意味解釈をして何かを行っているわけではない.人工知能を搭載した人型ロボットが,人間のような知能を持っているかのように見えたり,感情を持っているかのように見えたりすることはあっても,実際にそのようなものを持っているわけではない.人間の言葉や行動の意味を理解したり,気持ちを感じたりしているわけではない.膨大なデータと高速な演算によってそう見せかけているにすぎない.本書では,人間と機械は決定的に異なり,人工知能が人間を代替することはなく,人間が職を人工知能に奪われるようなことも起きそうにないと指摘している.もちろん,人工知能が定型的な作業を肩代わりするようになるだろうし,職場への人工知能やロボットの導入は進むはずだ.しかし,その人工知能やロボットを使う人間が必要であり,業務内容が変化していくにしても,完全に職を奪われてしまうようなことはないという指摘だ.

機械翻訳の精度が大幅に向上したり,人工知能が書いた小説が受賞候補に残ったりと,その躍進には目をみはるものがあるが,著者は次のように釘を刺している.

はっきり言おう.機械翻訳がかなりの有効性を発揮する場合もあるが,全面的に有効だということはない.人工知能で外国語学習が不要になる日など,決してこないのである.

ちなみに,人工知能に文学作品をつくらせるといった試みは,芸術活動としては明らかに邪道である.過去にない新たな作風の作品を創りだすのが近代芸術の大前提だからだ.コンピュータが効率よくマガイモノを大量生産して市場を制覇するなら,それは「芸術の死」を意味する.

さらに,著者の西垣氏は,人類が2045年に経験すると予想されているシンギュラリティ(技術的特異点)について,そのような事態は起こりえないと一蹴している.人工知能が人間を超えたその後の世界については,そこにバラ色の未来を描き出す楽観論者もいれば,その危険性どころか人類滅亡すら危惧する悲観論者もいる.しかし,楽観論者も悲観論者もシンギュラリティが来ることを前提にしている.そもそも,その前提が間違っているのではないか,というのが本書の指摘だ.プロミングされた通りに動作し,過去に与えられた指令を墨守するだけの機械と,時々刻々と変わる状況に合わせて意思決定をしている人間とは異なる.「あらかじめ設計されたルールにもとづいて作動を繰りかえす空間的存在が機械だとすれば,一回性のある出来事を重ねていく時間的存在が生物というものなのである」とし,静的な過去に縛られた機械と動的な現在を生きる人間の違いを強調するのが著者の立場だ.機械学習で機械も賢くなるという指摘に対しては,プログラムが少々抽象的で複雑になっているだけで,プログラムの変更方法も含めて動作が事前に厳密に決められていることに変わりはないとしている.そうであるのに,なぜ,多くの人達がシンギュラリティ仮説を支持しているのか.そこには,ユダヤ=キリスト教文化圏における超越的な創造主への信仰と近代科学の発展があると著者は指摘する.生物の中で最高位の人間が,神が人間を造ったように,理性と科学の力で人工知能を造るというわけだ.しかし,それほど信心深くないにしても,神を冒涜することへの恐れから,シンギュラリティに対する悲観論が生まれるのではないかというのが著者の推察だ.

しかし,そもそも,「人間より賢い」とはどういうことだろうか.仮に実際にシンギュラリティを迎えて,人工知能が人間よりも賢くなったとしよう.凡人が天才を理解できないように,人間より賢い人工知能のことを人間は理解できないのではないか.理解不能な意味不明な意思決定をする人工知能は,人間にとって,馬鹿げた意思決定結果を表示する玩具とどう違うのだろうか.そのような人工知能は「廃品」でしかない.このような疑問も著者は投げかけている.

それでも,汎用人工知能あるいは超人工知能が人間より賢いと信じ込ませたい人達と信じたい人達がいれば,人間より賢い人工知能の判断に従うべきだという社会規範ができかねない.賢い人工知能が目指す社会とはどのようなものだろうか.意思決定するためには目標を設定しなければならない.そのためには価値観を持たなければならない.ところが,人工知能は価値観を持たず,目標を設定することもできない.ここに隙がある,というのが著者の指摘だ.表向きは人間より賢い人工知能の権威を振りかざしながら,裏で密かに誰かにとって好都合な目標が仕込まれる恐れがある.ここで著者は次のように問うている.

一神教の支配とは,ほとんどそんなものである.絶対者の権威のもとで,統一的な支配の論理が言あげされ,下々の人々はそれに従わざるをえない.ところが実際には,絶対者は空っぽで,一部の支配層の人間たちが都合のよいように社会を動かすのである.シンギュラリティ仮説をそんな計画の一環と見なすのは,うがち過ぎというものだろうか.

さらに著者は,人工知能を崇めるような社会では,様々な意思決定を行うのは人間より賢いはずの人工知能であり,重大な事故や問題が生じても誰も責任を取ろうとしない無責任社会が出現するという問題点を指摘している.我々のプライバシーやセキュリティはとてつもない危険にさらされることになるかもしれない.

そこで著者は,意思決定においては,価値基準を人間が決めることが重要であり,専門知に支えられた集合知を活用すべきだと説く.一般の人々の多様な知恵が適切な専門知のバックアップをうけて組み合わされ,熟議を重ねて問題を解決していくのが,これからの知の望ましいあり方だとする.そのためには,ビッグデータを解析して専門家を支援すると共に,集合知の精度や信頼性を向上させなければならない.そのような人工知能の開発が有望であり,そこで重要な役割を果たすのが,IA(Intelligence Amplifier)と呼ぶべき専用人工知能であるとされる.

人工知能の研究開発には大きな期待が寄せられており,莫大な予算も投じられている.しかし,日本のIT研究開発には重大な問題があると著者は指摘する.

日本のIT業界は原則として,徹底した欧米追随である.とくに米国の動向をしらべ,その技術をいち早く輸入することに長けている研究者やビジネスマンが事実上のリーダーシップを握っている.彼らのような輸入営業マンは,いつも米国のニュースに聞き耳をたてていて,マスコミ受けするトピックスが見つかると,何でもよいから大声で騒ぎ立てる.その目的は,決定権をもっている素人のスポンサーに働きかけ,政府や企業から多大な研究予算を獲得することにある.

(中略)

大切なのは,まったく違う文化的背景から出てきたシンギュラリティ仮説の中身を,根本からよく考察し吟味することである.そういう努力をせず,かわりに,ただその政治的,経済的な効果のみに注意をそそぎ,あとはひたすら,純粋に専門技術的な短期目標達成のために猛進する—これはまさに,19080年代の第五世代コンピュータ開発プロジェクトがたどった軌跡ではなかったか.

あのプロジェクトが失敗した原因は,技術水準や努力の不足ではなく,リーダーの視野が狭かったことなのである.とりわけ言語コミュニケーションについての見識が決定的に貧しかったことがあげられる.そして500億円を超える血税は泡と消えた.

また,次のような問題もあるという.

日本のIT専門家の視野が狭いのは,彼らが不真面目で勉強不足だからではない.それどころか,彼らはおおむね頭脳明晰で,誠実な努力家なのだ.原因は,理系と文系を峻別する教育,そしてこれにもとづく日本の社会制度にある.さらに言えば,IT専門家を単なる「技術屋」とみなし,ITの影響力の大きさを無視して,彼らの社会的地位を低いままに保っている風潮にあるのだ.

(中略)

もしシンギュラリティ仮説が真実だとすれば,その影響をまともに受けるのは,政治や経済をはじめとする社会の機構や制度ではないのか.とすれば,文系と理系にまたがる知識教養を身につけたIT専門家チームによる,本格的な深い検討が不可欠なはずである.そういう人材を育ててこなかったことが,最大の失敗だったのではないか.

教育の問題はIT専門家の育成だけにとどまらない.本書で著者は「われわれ一般日本人の,人工知能やロボットにたいする見識は,あまりに脳天気で幼稚すぎる」と指摘し,IT機器の操作はできてもコンピュータの内部メカニズムの初歩的知識すら持たない人がほとんである現状を問題視している.これまでの情報教育の軽視や,文系と理系を隔ててきた教育制度に問題があるとしている.

人工知能やビッグデータに関連する書籍は数多く出版されているが,技術的な解説や事例紹介がほとんどで,概ねバラ色の未来が描かれている中にあって,本書は人工知能の可能性を認めながらも,その限界や問題点を指摘しており,興味深い内容であった.元々,第二次人工知能ブームの最中にIT研究開発に従事し,その後,情報文化論の研究に移行した著者ならではの切り口であろう.

目次

  • 第1章 ビッグデータとは何か(データが主役の時代;富とセキュリティ;超えるべき壁)
  • 第2章 機械学習のブレイクスルー(人工知能ブームの再来;深層学習の登場)
  • 第3章 人工知能が人間を超える!?(シンギュラリティ狂騒曲;生物と機械の違い;ロボットとのコミュニケーション)
  • 第4章 自由/責任/プライバシーはどうなるか?(一神教の呪縛;社会メガマシン)
  • 第5章 集合知の新展開(ビッグデータと集合知;人間と機械の協働)
12月 082016
 

ハーバード数学科のデータサイエンティストが明かす ビッグデータの残酷な現実 ― ネットの密かな行動から、私たちの何がわかってしまったのか?
クリスチャン・ラダー(著), 矢羽野薫(訳), ダイヤモンド社, 2016

book

米国の有名な出会い系サイトの創業者で,様々な出会い系サイトやSNSのビッグデータを解析してきた著者が,出会いを求める男女がみずから登録した自分自身についての情報や,出会い系サイトを介しての男女の遣り取りといったビッグデータから読み取れることを紹介するという内容で,とても面白い.

もちろん,女性にも男性にも様々な人がいて,外見も性格も異なるわけだが,出会い系サイトに登録している人の数が非常に多くなると,傾向がハッキリと浮かび上がってくる.恐らく,これまでにも社会学者が様々な分析を試みてきたのだろうけど,無作為抽出によるアンケート調査よりも,出会い系サイトの方が,有効回答者数が圧倒的に多いだろう.こういうデータにアクセスできないと,もはや研究もできないような状況ではないだろうか.仮に何かをしたところで,「そんな少ないサンプルではね(苦笑)」とバッサリやられてしまいそうだ.リアルに出会って親しくなることが目的の出会い系サイトでは,虚偽の情報を登録してもメリットがないため,登録者は(誇張はあるにしても)本当のことを書くと著者は指摘している.つまり,アンケート調査に比べると,量が多いだけでなく,質も高いデータが向こうから勝手に集まってきて解析対象になるということだ.

では,出会い系ビッグデータを解析すると何がわかるのか.自分が面白いと思った結果を2つだけ紹介しておく.

1つ目は,5点が最高,1点が最低の5段階で異性を評価した結果だ.このグラフを見ると,男性に比べて女性が厳しい,それも無茶苦茶厳しいことがわかる.

男性からの評価と女性からの評価
男性からの評価と女性からの評価

2つ目は年齢に関するグラフだが,男性が魅力的に感じる女性の年齢がこれだという現実を,女性の皆さんにお伝えしたい.

男性の年齢:魅力的だと思う女性の年齢
男性の年齢:魅力的だと思う女性の年齢

ちなみに,女性が魅力的に感じる男性の年齢は概ね女性の年齢に近いので,男女差が驚くほど大きい.ミスマッチにも程があるというものだ.

目次

イントロダクション ── ビッグデータは、あなた自身を語る

  • 出会いサイトのビッグデータの価値はどこにある?
  • 大きな数字から小さな個人を理解するアプローチ
  • 現実のデータは男女をいかに語るか
  • 本書の構成について
  • 本書のデータは、既存のデータとどこが異なるか
  • ビッグデータの洪水が、世界を変える

PART 1 What Brings Us Together

そして、何が私たちを結びつけるのか?

  • Chapter 1 ビッグデータが語りかける男女の普遍的な傾向
  • Chapter 2 1000人の「まあまあ」よりも、たった1人の○○が欲しい
  • Chapter 3 私たちは、かつてなく文字を書いている
  • Chapter 4 あなたは、人と人をつなげる接着剤になれる
  • Chapter 5 ばかばかしいアイデアを実行してみたら

PART 2 What Pulls Us Apart

何が、2人を分けたのか?

  • Chapter 6 人種 ── けっして語られることのない重要因子
  • Chapter 7 美しい人がトクをする傾向は、加速している
  • Chapter 8 「本当は何を考えているか」がわかる方法
  • Chapter 9 炎上 ── 突然、嵐のような日々が訪れる

PART 3 What Makes Us Who We Are

自分らしさはどこにある?

  • Chapter 10 アジア人にしては背が高い
  • Chapter 11 どんな人と恋に落ちたいですか?
  • Chapter 12 居心地のいい場所はどこですか?
  • Chapter 13 ネットの中のあなたのブランド
  • Chapter 14 ネットの中の足跡を追いかけると何がわかるか

エピローグに代えて