2月 052017
 

外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD
フレッド・ピアス(著),藤井留美(訳),草思社,2016

newwild

邦題「外来種は本当に悪者か?」は挑発的で,ヒステリックな反応を誘発するものだと思うが,物凄い数の例や文献を示しながら,外来種は悪者とは限らないこと,原理主義的な環境保護主義は間違っていることを指摘しているのが,本書だと言えるだろう.タイトルにある「新しい野生 THE NEW WILD」とは何か.第2部第9章「エデンの園の排外主義」にこう書かれている.

イェール大学の生態学者ダニエル・ボトキンの指摘はさらに容赦ない.「私たちはいまだに,古代ギリシャ人が唱え,ユダヤ教とキリスト教を通じて伝わった自然観を頭から信じて疑わない」(中略)彼に言わせれば,自然のバランスなどというものは存在しない.自然はつねに変化しつづけており,釣りあった状態にはならないのだ.

この主張は,外来種を語るこの本の柱でもある.自然の釣りあいがとれている.あるいはとれていないとまずいのであれば,外来種が入る余地はいっさいない.異なる生態系からやってきた風来坊は追いかえされる.しかしバランスや秩序が最初から存在しないとすれば,自然を乱すという概念がそもそもないわけで,外来種がそこに加わることは可能だ.外来種は悪者とはかぎらない.善玉かもしれないし,いいことをしてくれるかもしれない.ダーウィンの自然選択説でいけば,適者生存の勝者になれるかもしれない.この本でこれから掘りさげるのは,自然は外来種にとって,また環境保護にとってどういう存在なのかということだ.そうした視点から自然をとらえる試みを,ボトキンは新生態学と呼んだ.私はニュー・ワイルドと呼ばせてもらおう.

自然本来の姿を,静的なもの,ずっと変化しないものと捉えるか,動的なもの,常に変化するものと捉えるか,が対立軸として設定されている.著者フレッド・ピアスが槍玉に挙げている旧態依然とした環境保護主義とは,守るべきは太古から変化していない手つかずの自然であるという立場だ.しかし,そんな手つかずの自然は幻想にすぎないというのが著者の指摘である.このことを裏付けるために,本書前半では膨大な例が延々と紹介されている.アマゾンのジャングル,東南アジアの熱帯雨林,アフリカのサバンナ,いずれも例外ではない.我々が目にしているのは,太古の昔から変わらない姿などではない.本書に挙げられている例のひとつとして,アフリカについての説明を引用しておく.

牛疫ウイルスが侵入する前のアフリカでは,貴族制の王国がいくつも繁栄していたが,その経済基盤はウシだった.しかし牛疫の大流行でウシは全滅状態になる.人口が激減し,貧困に陥ったアフリカの苦境は,奴隷商人に荒らされたときの比ではなかった.(中略)牛疫で疲弊しきったアフリカ大陸には,もはや植民地化に抵抗する力は残っていなかった.1880年代から始まっていたヨーロッパ列強の「アフリカ分割」の動きは,いよいよ最高潮に達する.

戦闘的な先住部族が戦えないのをいいことに,ドイツとイギリスはそれぞれタンザニアとケニアをものにした.ラガードは遠慮がちな筆でこう記している.「牛疫が我々の国家事業に有利に働いた面もある.好戦的な有力牧畜民の誇りがこの災厄で打ち砕かれたおかげで,わが国の進出も容易になった.そうでなければ,白人がこれほど平和的に入りこめたはずがない」

ツェツェバエから家畜を守るために,アフリカで最も土壌が肥沃な地域は,人間もウシも立ち入ることができない.一部の環境保護主義者から,ツェツェバエが「アフリカで最も優秀な保護区監視員」と呼ばれるのも不思議ではない.

人間が持ち込んだ外来のウイルスが,アフリカ大陸でこれだけのことをやらかした.だが結論はそこではない.牛疫ウイルスとツェツェバエをきっかけに,生態学的革命が起きた.負けたのは人間とウシ,勝ったのは野生生物だ.牧草地がなくなり,ウシの姿が消えた土地に灌木が茂り,野生動物がよみがえった—ローズヴェルトの言う「偉大な冒険」の舞台ができあがったのだ.これぞ「原始のままの」アフリカのイメージだ.しかしそれは原風景どころか,人間が導入したウイルスの産物なのである.

アフリカの話から学べることは3つある.第一は,免疫を持たない生物共同体に外から病気が持ち込まれる恐ろしさだ.規模はちがえど,無防備な生態系にはいまでも同じ危機が潜んでいる.第二は,自然は復活が得意だということ.そして第三は,私たちが思いえがく「手つかずの自然」が,しばしば誤った認識に基づいていること.人間の手がいっさい入っていないところなど,実際はないに等しい.そこでふと疑問が浮かぶ.ありのままの自然などないのなら,環境保護はいったい何を,どのように守ればいいのか?

森林生態学者で.現在はノルウェー生命科学大学に所属するダグラス・シールは,認識の問題だと考える.保護科学の研究者は,原生の生息環境と自分が思うところにしか興味がない.それ以外の自然にはまったく目を向けないし,その価値も認めない.たとえばオランウータンの4分の3は,いまや原生林ではなくプランテーションに生息しているにもかかわらず,「プランテーションを対象とした保護プログラムは行われていない」とシールは言う.「生体系の擾乱に耐性がある種は意外とたくさんある」事実を,環境保護主義者はなかなか受けいれられないのだ.それはきっと,傷ひとつない完璧な自然を私たちが追いもとめているからだろう.それはあくまで幻想であって,事実とは異なるのだが,「手の加わった生態系は気に食わないからといって,その価値を切りすてるべきではない」のである.

人間が開拓して文明を作った土地に何らかの理由で人間が住めなくなり,土地が放棄され,そこに新しく生まれた自然が,手つかずの自然と思い込まれているものだというわけだ.しかも,そのような自然は決して珍しいものではない.そして,そのような自然は,実はごく身近なところにもある.それが例えば,都会にある荒廃地であったりする.そのような新しい自然にもっと目を向けるべきだというのも著者の主張である.

環境保護を推進する人びとは,自らを冷静に振りかえり,何を優先させるべきかを考えたほうがいい.プエルトリコやチェルノブイリ,ティルブリーの石炭灰の山,ビキニ環礁,シカゴのハイウェイなど,新しい生態系の世界からも学ぶ必要がある.いまや自然は,田園地帯とか原生林といった,いかにもなところだけに存在するのではない.柵に囲まれた保護区を出て,荒廃地にじわじわと浸透しつつあるのだ.都市と地方,在来種と外来種という人間が決めた区分は,自然からすると何の意味もない.21世紀のいま,自然を回復させるためにあらゆる機会を活用するのなら,古い思い込みは捨てるべきだ.根拠の弱い大義名分や,説得力に乏しい理論,原始の生態系という幻想にしがみつくのはやめたほうがいい.

ここではチェルノブイリが例に挙げられているが,東電原発事故で設定された避難区域もあてはまることになるだろう.人間がいなくなれば,そこに新しい生態系が生まれる.利己的な人間が自然を痛めつけた跡地に生まれてくる新しい自然.太古の昔からある手つかずの自然ではないからという理由で,あるいは,田舎の原風景ではないからという理由で,そういう自然を否定する必要はない.それらは本当の自然であり,ニューワイルドであるというのが本書の主張である.

人間が気候変動,環境汚染,集約農業,プランテーションなどで自然を痛めつければつけるほど,外来種や新しい生態系が重要になってくる.問題視されてきた外来種の存在は,問題の解決策へと立場が入れかわりつつある.手つかずとされる環境を保つのに細部まで管理が必要なのであれば,それはもうテーマパークと変わらない.ほんとうの自然はもっと別のところ,すなわち放置された荒廃地や新しい生態系にあるはずだ.人間に甘やかされていない自然が,ニューワイルドなのである.

環境保護は自分の首を絞めている,とカレイヴァは言う.たとえば,多大な時間と金を費やして維持されている保護区は,自然からすればディズニーランドみたいなもの.セレンゲティ,イエローストーン,アマゾンのジャングル,シベリアの更正期パーク,どれも管理された生態系だ.

まあ,氷期と間氷期を繰り返してきた地球に,太古の昔から姿を変えていない自然などあるとも思えないわけで,そのときそのときの環境に合わせて生き残るものが生態系をつくるだけでしかない.だから環境保護など不要だと著者は言っていないし,在来種に価値がないと言っているわけでもない.長期的に自然を観察すれば,無暗に外来種を敵視するのは馬鹿げていることがわかるだろうと指摘しているのだ.

はじめに書いたように,本書第1部「異邦人の帝国」では,多数の例を挙げながら,外来種が悪者とは限らないこと,手つかずの自然など幻想であることを述べている.小難しい動植物の名称がピンと来ないので,代表的な登場生物の写真か絵でも付けておいてくれたらいいのにと何度も思った.この部分が退屈に思えたら,第2部「神話とドラゴン」から読み始めるのもいいと思う.

目次

 
はじめに 人間界の自然
 
第1部 異邦人の帝国
第1章 グリーンマウンテンにて
世界中から持ち込まれた動植物
外来種が高めたアセンション島の生物多様性
在来種vs外来種、仁義なき戦い
アリたちのスーパーコロニーと消滅
外来種は本当に悪者か?
 
第2章 新しい世界
外来種も病原菌も人類の旅のお供
動植物の順化と「脱走」
ホテイアオイとナイルパーチが増えた真の理由
驚異の木「メスキート」の悲劇
 
第3章 クラゲの海
船のバラスト水、海洋博物館からキラー生物
ほんとうの原因は人間による環境破壊
長い時間軸でとらえると在来種などいない
 
第4章 ようこそアメリカへ
タマリクス、熱狂的な期待のあとの転落
よそ者の貝が水質を浄化してくれたエリー湖
外来種にさらされても多様性あふれるサンフランシスコ湾
ペット出身の外来種たち
外来種排斥という陰謀の不都合な真実
 
第5章 イギリス―イタドリにしばられた国
ビクトリア朝ワイルド・ガーデンの末裔
かわいらしい外来種は許される?
 
第2部 神話とドラゴン
第6章 生態学的浄化
イタチごっこのネズミ捕り
袋小路に入る外来種駆除の取り組み
ワニも食べつくすオオヒキガエルが市民権を得るまで
民族浄化ならぬ生態系浄化の狂信ぶり
 
第7章 よそ者神話
偏見と詭弁がはびこる侵入生物学
外来種被害のずさんな算出方法
経済効果の高い外来種には触れていない
 
第8章 手つかずの自然という神話
森林の奥地に栄えた文明は無数にあった
牛痘ウイルスとツェツェバエが起こした生態学的革命
 
第9章 エデンの園の排外主義
ダーウィニズムと完璧なる自然
エコロジカル・フィッティングという手がかり
外来種悪玉論からの改宗と周回遅れの環境保護運動
 
第3部 ニュー・ワイルド
第10章 新しい生態系
自然回復のきっかけをつくるコロナイザー
新しい生態系の復元力を認める
ほとんどの荒れた生態系は回復している
 
第11章 都市の荒廃地で自然保護を再起動する
都市の荒廃地にあらわれた楽園
驚くほど都会暮らしを楽しむ野生生物たち
野生生物の天国、チェルノブイリ
旧来型の環境保護は自分の首を絞めている
 
第12章 ニュー・ワイルドの呼び声
スーパー・スピーシーズ
それでも古い時代に自然を戻そうとする人々
管理なき自然を求めて
 
解説 岸由二(慶應義塾大学名誉教授)

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