3月 302017
 

凡事徹底 — 平凡を非凡に務める
鍵山秀三郎,致知出版社,1994

凡事徹底

著者は,イエローハット(前身はローヤル)創業者にして掃除で著名な鍵山秀三郎氏.

本書「凡事徹底」では,その副題にある通り,誰にでもできる平凡なことを徹底してやり抜くことの大切さが説かれている.鍵山氏の場合,その平凡なことが掃除ということになる.掃除をすることを通して,小さなことにもよく気付く人物になる.それが良いことを引き寄せることに繋がるという.その他,枠をできるだけ小さく使うという生き方も勧められている.自分に与えられたものを使い切ろうとするのではなく,少し残すようにする.例えば,宴会場を10時までと言われたら,その少し前には使い終わるようにする.そうすることで枠が広がっていくという.鍵山氏の教えは,因果応報の具体例とも言えるだろう.良い会社や組織をつくる,人を幸せにする,幸せになる,そのために何を為すべきか.そのようなことを考えるヒントを与えてくれる本だ.

本書には,浅野喜起氏との対談が収録されている.その中で,鍵山氏が掃除を始めた経緯が紹介されているので引用しておく.ローヤル創業時の話だが,切実な事情があったわけだ.もちろん,そうだからといって,殆どの経営者は掃除などに見向きもしないわけで,鍵山氏の非凡さが光る.

与えられてるものを最大限に生かすことを考えなければならないと思ったんです.そのためには何をしたらいいか.それにはまず掃除をして,いまいる場所を少しでも高めようと思いました.これが私が掃除に目を向けようと思った第一歩なんです.

零細企業ですから,社員が外へ仕事に出ると,必ず屈辱的な思いをして帰ってきます.屈辱的な思いをしないということがない.毎日なにがしか必ずあるんです.とても人にはいえないような辱めを受けて帰ってくることもあるんですね.

そんな思いを抑えて帰ってきて,汚いトイレを見たら,もっと怒りがわき上がってくるんですね.屈辱的な思いをするのは,これは私どもに力がないわけですから仕方がない.しかしトイレをきれいにしておけば,少なくともその怒りが増幅されることはない.そういうふうにしたというのが私の願いでした.

大きな字で書かれている読みやすい本でもあるので,まだ読んでいないという人は,一度読んでみたらどうだろう.きっと何かしら感じるものがあると思う.

目次

 
序のことば — 坂村真民
凡事徹底
縁をつなぐ
企業の質をどう高めるか

3月 272017
 

啓発録
橋本左内(著),伴五十嗣郎(訳),講談社,1982

啓発録

さらに,「橋本左内(橋本景岳)が満14歳にして書いた「啓発録」に感服する」の続き.

本書「啓発録」には,藩校である講道館を任された橋本左内による意見書「学制に関する意見劄子」が収録されている.そこに人材育成についての記述があるのだが,これがまさに現代にも通用する内容だと思うので,引用しておく.

人材獲得のための四箇条

  1. 人材を知ること.すなわち,その人物の長所を見出し,また短所をも見抜くこと.
  2. 人材を養成すること.その人物の長所・短所を確認した上は,その長所を伸ばし短所を改めるような養成に力を注ぎ,その成長を妨害する危難から保護してやるとともに,その者の内部から生ずる反抗心やひねくれようとする心などを取り除いてやり,その者が立派に志を遂げられるよう援助してやること.
  3. 人材を完成すること.人材の養成を終わったならば,いよいよその者に学問と技能を教育し,その成果を正しい方向に開花させ,実際にその能力を試し,熟練させて,有用な人材として完成すること.
  4. 人材を挙用すること.その者が,すでに実際の用に堪えうるところまで完成したならば,長期間挙用もせず,捨て去っておくようなことはしないで,ただちに推薦して,しかるべき任務につけ,活躍させること.

例えば日本では,1990年代に大学院重点化(大学の教育研究組織の中核を学部から大学院に変更した)が行われたが,就職先を用意することなく博士課程学生の定員を急激に増やしたため,博士課程修了者の就職難が深刻な問題になった.この中途半端に終わった施策も,橋本左内が意見書で強調した「人材を挙用すること」の重要性を認識していれば,違った展開があったかもしれない.

さらに,橋本左内は講道館の教官の資質を厳しく批判している.

多勢の中には自然右に述べましたような,ぬきんでた人物がいるはずであります.しかしもし幸いにそのような人物が登場いたしましても,目下の明道館の状況では,きっと,その人材を立派に養成することはできぬと存じます.

その訳は,教官中にすぐれて機敏な眼力を有し,規模雄大な気概をもつ者がおらず,その学生のせっかくの大才能を見抜くことができないという欠点がある上に,そうした学生を指導するに当たっても,ささいな行為や取るに足らない問題ばかりを厳しく監督し,真に助長してやらねばならない大切なところに気がつかず,おろそかにしてしまう欠点もあり,更に教官自身と同種の考え方を持ち,よく随従してくる学生をかわいがり,逆に異論を唱え異なる見解を主張するような者を嫌い遠ざけるとった欠点があるからであります.この教官の見識や体質に関する三つの欠点が除去されないかぎり,とても優秀な学生を心服させ,教官の方からその者を育成していくことなど,不可能であります.

大学の一教員として,実に耳が痛い.特に,超優秀な学生が来てくれる研究室の教員として,本当に耳が痛い.

目次

 
啓発録
書簡
意見書
漢詩

3月 262017
 

啓発録
橋本左内(著),伴五十嗣郎(訳),講談社,1982

啓発録

橋本左内(橋本景岳)が満14歳にして書いた「啓発録」に感服する」の続き.

本書「啓発録」には,「藩校明道館における布令原案」が収録されている.そこに学問についての記述があるので,訳文を引用しておく.

学問とは,人として踏み行うべき正しい筋道を修行することであって,技能に習熟するだけのものでは,決してない.ところが,とかく学問とは技能の修行と心得ている者が多くて,自分は学者になる家柄に生まれたのではないし,またそのつもりもないから,そう深く学問をする必要はないなどと,口ぐせのようにいっている人を見かける.これは結局のところ,学問を技能の修行と心得ることから生ずる間違いである.たとえ,どんなに詩文を上手に作れるようになっても,故事などを博く暗記したとしても,それだけでは一種の芸人となり得たに過ぎない.

近年,「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので,このようなものは追放すべきだ」と発言するような一種の芸人もいるようだが,幕末には既に橋本左内がこのように意見書に記しているわけだ.

目次

 
啓発録
書簡
意見書
漢詩

3月 262017
 

啓発録
橋本左内(著),伴五十嗣郎(訳),講談社,1982

啓発録

橋本左内は福井藩医師の家に生まれたが,その才覚を認められ,京都や大阪,江戸に遊学し,幕末の志士として活躍した.しかし,活躍したと言っても,安政6年(1859年),26歳のときに,大老井伊直弼が仕掛けた安政の大獄で,伝馬町牢屋敷にて斬首された.吉田松陰が処刑されたのが30歳のときであるから,それよりもさらに若くして亡くなっている.それにもかかわらず,後世に与えた影響は大きい.

本書に収録されている書簡「村田氏壽あて(安政4年11月28日)」は,刑死2年前に記された手紙であるが,イギリス,ロシア,アメリカといった大国にどのように対応していくか,内政をどのように舵取りしていくかについての見通しが記されており,当時の国際情勢や地政学を踏まえた大局的な見解に驚きを禁じ得ない.橋本左内は,隣国であるロシアと同盟を結び,イギリスと対峙すべきであり,その体制が整うまではアメリカの援助を受けてイギリスを牽制すべきと主張している.また,ロシアやアメリカから優秀な人材を雇用し,西洋の学問や技術を早急に取り入れるべきと述べている.内政においては,島津斉彬を宰相に取り立てるなど,危機を乗り越えるために,立場を超えて挙国一致して国政を執り行うべきと主張している.さらに,江戸幕府第14代将軍の世継ぎに関して,藩主松平春嶽を助け,一橋慶喜の擁立を目指した.だが,最終的には,この一橋慶喜を擁立する動きは大老井伊直弼によって潰され,橋本左内は処刑されることになる.

また,別の書簡「中根雪江あて(安政3年4月26日)」においては,藩の重鎮である御側御用人の中根雪江に対して,「現在の我が藩は,人体にたとえれば虚弱の容体,それに加えて体内に閉じふさがった部分もあり,その上,その養生法がよくありません.」「第一に大切なことは,この養生法にありまして,これが宜しくないのは,恐れながら殿様のお手許近くに,その原因がございます.」と書き送り,藩主松平春嶽をたてながらも,要職にあるものを容赦なく批判している.さらに,「士気は軟弱軽率である上に派手やかで,全く無駄に俸給を費やし,主君の御趣旨を理解しようともせず,上司に媚びへつらって取り入ることがばかりを考え,その思いが醜く形にあらわれている」「学校は政治の根本であり,人を教化する上で最も基本となる重要なところでありますが,現在の状況は全く名ばかりで,その運営に思い切った御処置もなく,実際に世の中で役立つ才識を身につけさせるという点でも,成功を収め得る御目算もまだ立たず,ただ,実りのない議論ばかりに日を送られておる有様です.」と本当に手厳しい.極めつけは次の文章だ.国是を定めるためにと帰国の命を受けたことに対して,無駄な会議のために帰国はしませんと明言している.

相変わらず例の実りのない議論ばかりに一日を費やし,後はただ嘆息ばかりといった状態になるのでございましたら,わたくしだけは除外いただきたく存じます.そのようなことならば,いかにご命令を受けましょうとも,なかなか帰国などいたしません.

わたくしは目前の御用に役立つようなことは好きでありませず,ここ十年ばかりの間は,じっくりと諸種の学問を研究し,世の中の変遷推移を見定めて才識を練り上げ,少しは物事も分かるようになった上で,それまでの御恩遇に一挙に報いたいものと存じております.そのため,今の段階では無駄に時間を消費したくないのであります.

誠に勇気のある態度であり,橋本左内の忠孝がよく伝わってくる.

さて,「啓発録」は橋本左内(橋本景岳)が満14歳にして記した文章である.学問を志そうとする自分自身がまずもって確立せねばならない重要な問題として,「稚心を去る(去稚心)」,「気を振るう(振気)」,「志を立つ(立志)」,「学に勉む(勉学)」,「交友を択ぶ(択交友)」の5つの項目が記されている.これが満14歳の文章かと,これが満14歳の心得かと,感服するほかない.

この「啓発録」には,後に橋本左内の友人である矢嶋皡が序文を書いている.橋本左内が福井藩の藩校「明道館」の幹事に抜擢され,その運営を任された後,矢嶋皡に序文の執筆を依頼したことによる.その序文には,橋本左内(橋本景岳)について次のように記されている.この序文を読むだけでも,橋本左内の凄さが伝わってくる.

(橋本景岳が京都や大阪の遊学から福井に戻ってきたとき)その態度は落ち着いていて考え深く,誠にくわしく正確な学識を身に付けており,文を書いても議論をしても,筋道が明らかで師承があり,一つとして自分一人の思いつきの論などなかったのであります.

そもそも学問の根本は忠孝の精神にあります.景岳は,その根本を十余年以前からしっかりと自覚していたのですから,その学問が驚くほど急速に進歩したことに,なんの不思議もなかったのであります.この「啓発録」を読んで,景岳に抱いていたわたくしの疑問ははじめて氷塊いたしました.思えばそのころのわたくしどもは,せっかくの気概の盛り上がりを,激論することによって一時の快感に換え,発散させてしまったのに,景岳はそうした気概を言葉や表情に出さず,長い間じっと身体の中に蓄積しておいて,一気に学問素養の上に発揮した爆発させたのであります.

「啓発録」から,いくつかの文章を引用しておく.

稚心とは所謂をさな心のことで、俗に子供つぽいといふことである。(中略)何物によらず、この稚を離れない内は発展するものではない。(中略)故に自分は武士道第一歩の心得として、稚心を去ることを主張する。

確認しておくが,これは橋本左内が満14歳にして書いた文である.

志のない人間は魂のない虫と同じで、何時までたつても発展することは絶無である。(中略)我々はこゝに於て志の大小が、その儘人間の大小を決定する最大の要素であることを知る。

学とはならふと読み、凡て自己よりも優れた人々の善事、善行を模倣して、自分もその地位にまで達することを意味する。(中略)然るに後世に至ると、この学の意味を全然誤解若しくは制限して、単に詩文を創作し、読書することだけを学の全体と考へるやうになつて来た。学の本質から見るとこれほど妙な変化はないのである。

友人の中にも損友と益友とがある。こゝに選択の必要を感ずるのだ。損友には自分の得た道でその欠点を矯正してやるのが正しく、益友には自分から進んで交りを厚くし、万事を相談して常に兄事しなければならない。自分は世の中に益友ほど大切なものはないと思ふ。又益友ほど得るのに困難なものない。故に一人でもそれを持つてゐたら、この上もなく大切にしなければならない。

聖人の書かれたものに「士に争友あれば、無道なりと雖も、令名を失はず」とある。この争友とは益友のことだ。自分の欠点を遠慮なく告げ、自分をより正しい道に導いてこそ、自分で知らない欠点にも気付き、矯正するやうになるのではないか。

「啓発録」を読んだことがない人には,是非,全文を読んでもらいたいと思うので,以下に口語訳全文(「大日本思想全集」第十八巻)を引用する.

目次

 
啓発録
書簡
意見書
漢詩

啓発録

稚心を去る

稚心とは所謂をさな心のことで、俗に子供つぽいといふことである。何も人間のみに使用されるものでなく、譬へば果実、野菜などでも未だ十分に熟しない間を稚と称する。それは凡て水くさく、成熟した本来の味を具へない間を言ふ。何物によらず、この稚を離れない内は発展するものではない。

人間も勿論これの例外ではなく、竹馬、紙鳶、打毬の遊びなどを好み、石を投げたり虫を捕へたりする事に夢中となり、或は何の種類に関せず口当りの甘いものを貪り、勤勉する気なく父母の目を盗んで自己の修業を怠り、又は父母への依頼心が強く、厳格な父兄を恐れて、穏和な母の膝下から離れない類は、皆少年の水くさい心が原因となつてゐる。これも余りに年齢が幼なければ止むを得ないと許されもしよう。然し十三四歳にもなり、学問に志した後にもこの心が僅かでも残つてゐるならば、何事も上達せず、とても天下の大豪傑などになれる筈はないのである。

源平が東西に分かれて覇を争つた時、また近くは元亀、天正の頃までは、十二三歳で父母から離別して初陣し、多大の功名を顕はして天下に名を挙げた人物も少なくはない。この人々は既にその頃には全く稚心を去つてゐたからであつた。若し稚心が残つてゐれば、親の下から一寸も離れられないので、到底戦場の功名などは思ひもよらない。更に稚心の害を挙げると、これを除かなければ絶対に士気が振はないので、永久に腰抜武士として人々から軽蔑されなければならない。故に自分は武士道第一歩の心得として、稚心を去ることを主張する。

振気

気とは何事も他人に負けてはならないとする気持で、人の下位に在ることをこの上もなく残念に考へるところから発する。所謂意地張りに外ならない。振とは確定した目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失はないことである。この気は生きとし生きるものの全部が所有し、禽獣ですらも相当に持つてゐる。非常に気の立つた禽獣は人を害し、苦しめる場合がある。まして人間は気の持方一つで、その人を如何なる地位にも達せしめることが出来る。

人間の中でも武士程気の強いものはない。故に世間では普通士気と称してゐる。一般の人々が、如何に若年であつても両刀を帯びた者に無礼な行動をしないのは、全くこの士気を畏れるからで、その人の武芸、力量、地位などを考慮した結果ではない。然るに長く泰平が続くに従つて士風は軟弱となり、武士の家に生れながら、第一に練習しなくてはならない武芸一般の修業を怠り、徒らに地位を望み、女色に耽り、利に走り、権力者に附く事のみに汲々として、前述した人に負けない魂、恥辱を死より重大視する、雄々しい武士精神が全然失はれてしまつた。現在の武士は腰に大小こそ帯びてゐるものの、大風呂敷を坦つた商人、樽を売買する賤しい人々より遥かに気力の点では劣り、聞えるか聞えない程の雷声にも恐れ、甚だしいのになると、犬の吠えるのを聞いても跡ずさりするやうにまでなつてしまつた。実に甚だしい変化で、而も悪い方面に変つたものではないか。

それにも関はらず町人、農夫などは今でも武士を貴んで御武士様と称してゐる。これは武士の本質を認めて貴んでゐるのではなく、全く我君の御威光に畏服してゐるので、止むを得ず、表面上の武士といふものに頭を下げてゐるに過ぎない。昔の武士は平時には農民と変らず、鋤鍬を手にして畠で働いてゐた。畠で労働する点は農民と少しも変りはないが、心の持方に於て全然それとは異り、常に恥辱の何たるかを知り、人の下位に立つことを欲せず、如何なる事情でも節を曲げて権力に盲従することはなかつた。この故に一朝事が起つた場合には、朝廷或は将軍家から御召しがあり次第、直ちに鋤鍬を打捨てて武具に身を堅め、千人、百人の隊長となつて、虎狼に似た勇士どもを手先きとして、生命のあらん限り斬つて斬つて斬りまくり、成功すれば歴史上に不朽の名を増し、武運つたなく一戦に破れゝば、屍を原野に曝すことを少しも恐れなかつた。これ程の勇猛心は富貴にも曲げず、死の前にも躊躇しなかつたので、世間の人々がその心に感じ、義勇に畏れて心服し、武士を尊敬したのである。

今の武士をこれと比較すると余りの相違に一驚を喫しない者はあるまい。勇気がなく、義理には薄く、智略も不足してゐるとすれば、千軍万馬の中に斬り入つて、四辺に人のないやうに縦横に馬を乗り廻せと言ふ方が無理なのでもあらう。まして身は本陣に在つて遠慮大計の下に敵を鏖にする程の才能は決して望めるものではない。故に結局、現在の武士は町人、農夫に両刀を帯びさせたものと少しも違はず、寧ろ武士から両刀を奪へば、かの町人、農夫にも劣る者がどれ程居るかわからないと言つても宜しい。農夫は平常から労働に慣れてゐて、筋肉は大いに発達してゐる。町人も汚はしい商売であるが、利の方面に並々ならぬ苦労を積んでゐるので、智力がそれに相当する者でなければ渡世は出来ない。今若し天下に事が起つたならば、種々の功名を行ふ者は却つて農夫、町人から出て、第二の福島左衛門大夫、片桐助作、井伊直政、本多忠勝と言つた人々は、現在の武士から或は出ないのではないかと、心細くて仕方がない。これと言ふのも今の武士が余り士気に欠けてゐるからに外ならない。

これ程その本質に欠けてゐる者にすら、平常から高位、高禄を賜はり、何の不安もなく経済的の安定を得てゐられるのは、限りない君恩の為めだから、今更に我々は感謝しなければなるまい。これだけの御高恩を蒙りながらも臆病の武士のみで危険な場合に我君に御恥辱を蒙らせるとしたら、実に何とも申訳ない次第だと言はなければなるまい。これを考へると、心ある武士は床についても目が合はず、物を食しても味を知らないのが当然である。

現在我々が今書いた通りの御恩に浴してゐるとすれは、我々の先祖は君に対して幾分でも功労があつたものと見なければなるまい。その後代々無為徒食で居られることを思へば、僅かでも学問を心掛け、忠義の一斑をも小耳に挟んでゐる我我は、如何にしても一生涯の間には、露ほどの忠義を尽し、御恩に報ゆる目的で一切の艱難を忍ばなければならない。この忠義の心を常に引立たゝせて逆行しない為めには、前述した士気を忘れず、人の下位に立たない気位が絶対に必要である。但しこゝに注意を要するのは、如何ほど士気が立つても、自己の志が立たない以上は、春になつて結氷が解け、酒の酔のさめるやうに、本人の努力にも関はらず、士気は失はれ勝ちになるものである。故に気一度正確に持てば、次に志を立てるのが甚だ大切となる。

立志

志とは心の赴く方向を意味するので、自分の心の向つて行く点について言つたものである。武士と生れて忠孝の心がない者は一人もない。忠孝の心があり、君と親ほど大切なものはないと合点が行つたならば、必ず自重して如何にしても弓馬、文学の道で名を揚げ、古来の聖賢、君子、英雄、豪傑と言はれる人々の仲間入りをして、君の御為めに一命を犠牲にし、天下、国家の利益になる大業を起して、親の名までを揚げ、この一生を無駄に費すまいと考へるのが当然で、こゝに至つて志は一定したと言ひ得る。一度志を立てた以上は、何よりも先づ目的を定め、一刻も徒費せず、確実な道を歩んでそれにまで達しるやうに努力するのが宜しい。

志は如何なる場合に立つか。大体それを次の四種に分類することが出来る。先づ第一は読書に依つて古来の人物の経歴を知つて自分もそのやうにならうと思ふこと。第二に師友から直接、間接に種々のことを聞いた結果発憤すること、第三には自己が何等かの理由で非常な逆境に陥つた時、反射的に大勇猛心を起すこと、そして第四には或事物に感激したことが原因となつて志を立てるもので、平常何の不足も感激もなく平々凡々に暮して、心の緊張を失つてゐるやうな時には志の立つものではない。

志のない人間は魂のない虫と同じで、何時までたつても発展することは絶無である。然るに一度何物にも妨害されないほどの志が立てば、それ以後は日夜生成して行くもので、丁度芽を出したばかりの草に栄養味の多い土を与へるのと同じとなる。古来天下に名を揚げた人物も、別に目が四箇あつたのでもなければ、口を二つ所有してゐたのでもない。皆その大志と、堅固な意志とに依つて途に芳名を天下後世に垂れたのである。大多数の世間の人々がそれと反対に、平凡な一生を終るのは、これも矢張り志が小さく、意志が弱いからだつた。我々はこゝに於て志の大小が、その儘人間の大小を決定する最大の要素であることを知る。

又志を立てた者は、一定の目的から江戸を旅立つて行く者に譬へることが出来る。今朝城下を立てば今夜は越前の今荘、明夜は近江の木の本といふやうに、日毎に目的に近寄ることが可能となる。更に聖賢、豪傑の地位は日本全国に対する江戸のそれだと言ふことも出来やう。今日只今から聖賢、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合しない性質を少しづつ去つて行けば、如何程最初は才智の欠乏した者でも、遂には聖賢、豪傑の地位にまで達し得る道理ではないか。丁度これは足弱な者でも、江戸に行かうとする目的が堅ければ、何時かは到著し得るのと同様である。

次に志を立てた以上は、その目的を達しなければ意味をなさない。目的を達するには一途にその方面のみを志して他方は一切犠牲にする必要がある。自分の心を一途に向けなければ、戸閉りのない家にも似て、盗人や野犬などが勝手に入り込み、迚も自分一人で番は出来ないものである。又家の番人には他の人々を当てることも出来やうが、心の番人を一体誰が引受けるであらうか。結局自分の心を一筋に持ち、自身で十分に監視する以外はない。

目的に沿うて脇目もふらず一心に進むのは、特に少年には困難とされてゐる。兎角少年の間は人々の行ふことに目が散り、心が迷ひ易いもので、人が詩を作れば詩、文章を作れば自分もその方面に従ひたがり、武芸とても友人に懸命となつて鎗を練習する者があれば、今日まで習つてゐた太刀の業を中止して鎗を習ひ始める。これこそ決心の定まらない、少年にとつて第一の病根だと言へる。故に自分の知識が僅かでも開けたならば、万事遺漏なく深く考へ、自分の将来の方針を決定し、その後師についたり友人に計つたりして不足点を補ひ、方針を動かさないやうにして多岐に亙ることのないだけの用意と、覚悟とを怠つてはならない。凡て心が迷ふのは幾筋にも分かれてゐる証拠で、幾筋にも分かれることは自己の目的と方針とが一致しないことに外ならない。心が一定せず、常に動揺して昔から聖賢となり、豪傑となつた者は一人もないことを忘れてはならぬ。

志を立てる動機に関しては前述した四箇の種類が数へ上げられるが、自らその目的を達する手段の上には近路と遠廻りとがある。自分がその中で最も近路だと思ふのは、聖賢の書物又は種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼つて置くか、又は扇面などに記して置き、日夜、朝夕それを眺め、常に反省しつゝ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのが宜しい。志は立つても、学問に忠実でないと、何時の間にか立てた志も忘れ勝ちとなり、次第に時と共に愚鈍となり、道徳も低下することがある。故に次には学問に対する自分の考へを述べて見よう。

勉学

学とはならふと読み、凡て自己よりも優れた人々の善事、善行を模倣して、自分もその地位にまで達することを意味する。故に一例を挙ぐれば、忠義、孝行の人及び事を見ては、直ちにその人の平常の行動、又はその事などを倣ひ、自分も必ずその人に負けない程の忠孝の武士にならうと、堅く志すのが学問の第一義である。然るに後世に至ると、この学の意味を全然誤解若しくは制限して、単に詩文を創作し、読書することだけを学の全体と考へるやうになつて来た。学の本質から見るとこれほど妙な変化はないのである。

詩文の創作や読書は本来学問の一方法に過ぎぬ。云はゞ刀の柄や鞘、又は二階に昇る階段と等しいのである。それらを学問の本質と考へる人は、丁度柄や鞘を刀と考へ、階段を二階と思ふ人と愚かさに於ては少しも変りはない。実に浅薄な荒削りな思想ではないか。

学問の方針としては忠孝の筋と文武の業とより以外に何もあり得ない。一点の不純心なく君に忠、親に孝を尽して文武二道を励み、泰平の世に御側を召使はれた際には、君の御過失を矯正し奉る、御徳を益々盛んにし、若し何等かの役に命ぜられた場合には、自己の責任を十分に尽し、依怙贔屓なく、賄賂などを絶対に受けず、何処から見ても非難点が少しもなく、その役所内の同輩の尊敬の中心となることを、平常から心掛けるべきだ。不幸にして乱世に逢つたならば、自己の専門となつた方面から全力を費して賊を亡ぼし、国家を平穏の地に置くのが第一で、或は太刀、鎗の功名、組打の手柄、又は陣中に在つて謀略を出して敵を苦しめ、更に兵糧係及び手道具係となつたならば、迅速に事を整理し、味方に飢渇の思ひをさせず、兵力の減じないやうに平常から練習して置かなければならない。但し今述べたことを行ふにも、或程度の予備知識が根本となる。古今の様子を残らず知り、如何に急激の変化に出逢つても、断然処置に迷はないだけの決心が必要である。この予備知識を満たす為めに、常に学問を専務とし、自己の心胆を練ることが第一の要件である。

然るに少年の間は一生涯の目的が決定してゐない為めに、自己の責任にも冷淡で、従つて万事に忍耐が欠けてゐる。今本を読んでゐたと思へば二三日で止め、直ちに武術の方に熱中すると言つた風に、一事を根気よく長時間続けることは困難なのである。如何に困難だと言つても、この習慣だけは守りたいもので、勉とはそれに打勝つだけの忍耐力の養成を意味する。何事でも長時間の努力の結果でなければ、効果が見えるものではない。まして学問の本質が物の理を究明し、人としての道を明かにすることにある以上、短時間で仕上げようとしたり、方々に移つたりしては、真の道が発見出来ず、従つて実際的の効果を見得なくなる。更に世間には凡俗が多いので、少しばかり学問をすると、兎角慢心が起り、慎重な態度を失ひ富貴、功名の念に動かされたり、余りに度を過ごした得意になる人々も見かけるが、それを矯正する最も宜しい手段は良友の感化以外にはない。この故に友人を選択し自己の欠点を補ふことは、武士にとつて特に大切だと考へる。

朋友を択ぶ

交友とは自分が平素接してゐる友人のことで、択ぶとは多数の中から少数に注意してそれを引出す意味である。元来人間に交際が必要なのは今更言ふまでもないので、同門、同郷、或は同年輩の人々が、自分に交際を求めたならば、出来る限り大切にするのが宜しい。但し友人の中にも損友と益友とがある。こゝに選択の必要を感ずるのだ。損友には自分の得た道でその欠点を矯正してやるのが正しく、益友には自分から進んで交りを厚くし、万事を相談して常に兄事しなければならない。自分は世の中に益友ほど大切なものはないと思ふ。又益友ほど得るのに困難なものない。故に一人でもそれを持つてゐたら、この上もなく大切にしなければならない。

友と交際するにも一定の心得がある。昔の人は飲食、娯楽での他の遊び事の上の交際は不可であり、学問の研究、武事の練習、精神上の鍛錬から一致したものでなければ友人に持つなと言つたが、自分もそれには大賛成である。飲食及び遊山などの友人関係は、平常こと/゛\に肩を並べ腕を組んで、「貴公こそ自分を全部理解してゐる」などと言ひ合ふが、平生から自分の徳を補ふものではなく、万一の場合に自己の危難を救つてくれるものでもない。この種の人々に対しては特に自己を警戒し、余りに狎れ親しむことなく、自分の道が少しでも曲げられないやうに注意し、その上で相手を正道に導き、武道なり学問なりに懸命となるよう感化するのが真の友情といふものである。次に益友から受ける印象は確かに損友から受けるよりも悪いことがあるに相違ない。或は時には自分の感情を害する言行があらうが、これは前以て覚悟する必要がある。益友の益は全くその点に在るのだ。聖人の書かれたものに「士に争友あれば、無道なりと雖も、令名を失はず」とある。この争友とは益友のことだ。自分の欠点を遠慮なく告げ、自分をより正しい道に導いてこそ、自分で知らない欠点にも気付き、矯正するやうになるのではないか。若しこの種の益友の異見を嫌つてゐたのであれば、丁度諌臣を疎まれる天子、諸侯と同じく、結局は悪臣の為めに禍ひを蒙り、意外な災難にも遭ふのである。

然らば何を基準として我々は損友、益友を区別するか。先づ益友とは如何なる性質を持つてゐるかの問題から考察して見よう。益友の性質は次の五類に限られてゐる。第一は態度が公明正大で勇気ある人、第二は温良篤実な人、第三は絶大な元気があり、事物を躊躇なく断行出来る人、第四は非常に頭脳が優れてゐて平常の様子が朗かな人、そして第五は清濁を併せて呑み得る濶達な人である。但しこの第五の場合の清濁とは決して世の悪人までをも許す意味ではなく、多少の欠点が目立つ人でも平気で交際出来るほど感化力の強い人のことだ。これらの大部分は何れも平常からの態度、一拳一動を慎むので、世の俗人どもからは余り歓迎されない一般性を有してゐる。又損友の通有性は一定した節操がなく、権力者には御世辞を言つて気に入られようとし、平生の態度が全然軽率そのものである。慎重な態度を採らないから人々と何事でも話を合はせる。話を合はせるから、一方に於ては実に識見のあるやうに過大視され、他方では婦女子、小人などはその本質を知らず、表面に顕はれたものを中心として盛んに賞讃するが、将来聖賢、豪傑を志した者は、この種の本質を看破しなければならない。

以上の五筒条は入門の少年にとつて最も必要だと思ひ、条書きと説明とを加へたものである。

自分は厳父の教に従つて常に書史に接してゐるが、性来余りに一本気で怠慢な為めか、少しも進歩しないやうに思はれて仕方がなかつた。「何故これほど懸命となつても進歩しないのか」と考へると、種々それに連関した悲観説のみが頭に浮び、夜になつて床に入つても寝られない時が多い。「これではならない。こんなことでは駄目だ。何とかして天晴れな名誉を立てて父母の名を顕はし、将来は君の御用にも立ち、祖先の功に報じたいものだ」と常に考へ、枕に落ちる涙にぬれつゝ固く誓つてゐたものだが、次第にその効が顕はれて来たやうにも思はれる節があるので、後日の遺忘の為めに以上の心得書を草したのである。勿論、当時人々に示さうなどとは思つてゐなかつた。

顧みるに自分の家は代々医を専門としてゐる。若し自分がこの方面に専心に従事したならば、最初からの目的を達する機会はないであらう。この点が自分にとつて最大の苦悩であつたのだ。然したとひ医を業としてゐても、目的さへ変化しなければ決して誰にも恥ぢる要はない。自分は自分の苦悩をかうして解決した積りでゐるが、果して妥当であるか否かは言表の限りではない。若し後世の人々が自分の心の悩みを理解して呉れたならば、自己の進んだ方面に対して同情を持つてくれるであらうと信じる。かう思ふのは余りに僭越だらうか。

嘉永二年戊申季夏

橋本左内誌す

この啓発録は約十年以前に自分が手記したものである。内容は浅薄だと評し得るが、当時、時代への反抗性及び自分の気概は寧ろ今日以上のものがあつたと言はざるを得ない。長年間本箱の片隅に置かれて顧みなかつたが、偶然に最近それを取出す機会を得たので一本を浄書し愛友の子秉及び弟持卿に示して、自分の過去に於ける気持を明かにして参考にさせたのだつた。自分の十年前はこの中に明瞭に現はれてゐる。十年後の今日は君等の御承知の通りな境遇である。今後十年を経た後に、一体自分の心境及び境遇は如何になつてゐやうか。その時更にこれを読み返して、赤面せずに済むならば幸福である。

安政四年丁巳五月

二十四歳の景岳記す

3月 242017
 

ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業
神成淳司,日経BP社,2017

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この第3次人工知能ブームの最中に,本書の題目「ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業」を見ると,「AI=人工知能」にしか見えない.しかし,著者はそうではないと「はじめに」で述べている.

AI農業の「AI」は,「人工知能(Artificial Intelligence)」の研究をも包含する,「農業情報科学(Agri-InfoScience)」を指しています.すなわち,AI農業とは,人工知能を含めた情報科学の知見を農業分野に適用することで,社会システムの変革を促す,一連の取り組みなのです.その意味において,AI農業の「AI」は,情報技術を活用する「農業情報学(Agri-Informatics)」であると共に,「アグリ・イノベーション(Agri-Innovation)」でもあります.

とてもキラキラした文章だ.が,本書でいうAI農業とは,単に人工知能を農業に導入するのではないということは明らかだ.また,AI農業はスマート農業の一部でもあり,IoTやロボットの活用よりも,熟練農家の技能伝承を目的としている.別の言い方をすれば,熟練農家の持つ「暗黙知」を他者が活用できる「形式知」に変換することを通して,日本の農業を強くすることを目的としている.そのために,例えば,アイカメラを用いて熟練農家が何を見ているかを把握するといった取り組みが紹介されている.人間の技能習得をモデル化した「ドレイファスモデル」によると,第3段階の上級者に到達するのに2万時間,約10年が必要とされる.この期間を短縮することができれば,その効果は大きい.また,将来的に実現を目指すものとして,農業プラットフォームやプラットフォームデータ基盤が提案されている.これらはとても魅力的に見える.

さらに,「Made by Japan」も著者が強調している農業の在り方だ.

より大きなマーケットを形成し,本当の意味で日本の強みを発揮するには,日本の農業技術を輸出する「Made by Japan」の発想が必要と考えています.Made by Japanとは,ITを活用して引き出した日本の熟練農家のノウハウを使い,高品質な農作物を作れるようにするビジネスです.農作物を作る場所は日本以外の国でも構いません.

しかも,そのノウハウに知的財産権を付与することも可能になるので,日本の貴重な知識や技能が外国に流出してしまうことを防ぎ,農業ソリューションとして世界に展開するなど,「稼げる農業」への構想は膨らむばかりです.

著者が農業の強化を目指すのは,日本の農業は今のままではいけないとの想いからだ.本書ではいくつかのデータが紹介されている.例えば,農業従事者のうち65歳以上の人の割合が,英23.7%,仏19.2%,独16.9%,米24.9%であるのに対して,日本ではなんと61.1%にもなる.日本では少子高齢化が進んでいるとはいえ,この違いには驚かされる.

また,1950年と2005年を比較して,ほうれんそうではビタミンA効力が85%減,ビタミンCが77%減,にんじんではビタミンA効力が81%減,ビタミンCが60%減と,野菜の栄養価が激減していることが指摘されている.この変化について,本書「ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業」では刺激的なグラフが示されているだけであるが,測定方法や精度の問題があるため直接的な比較はできない.また,この栄養価は一年間の平均であるため,すべてのほうれんそうやにんじんの栄養価が低くなっているわけではない.実際,一年の間に時期によって栄養価が変化するという測定結果がある.それでも,平均として栄養価が低下しているのは確かだろう.その要因としては,旬以外の時期に出荷することの他にも,美味しさや食べやすさを追求した品種改良も挙げられるだろう.

最後に本書を読んで非常に気になった点を指摘しておく.

本書「ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業」では,レタス生産量日本一の長野県川上村では,世帯あたりの平均年収が2500万円と国内でも非常に高い収益を上げていることを指摘した上で,そこでの農業の特徴を「判断する人」と「作業する人」の分離にあると述べている.しかし,その高収益を支えるために,「農作業は中国東北部などから来日した研修者などにやってもらっています」と書かれているその研修者とは,現代日本版奴隷として問題になっている技能実習制度の下で日本に来ている外国人のことだろう.そのような研修者の人権を無視した酷使を前提として成り立つ高収益性は,良いものとも目指すべきものとも思わない.

実際,長野県川上村のレタス生産については,川上村農林業振興事業協同組合理事長宛に日本弁護士連合会から「中国人農業技能実習生に関する人権救済申立事件(勧告)」として勧告が出されている.

中国人農業技能実習生は、技能実習制度の下で来日し、レタス栽培に従事していたが、長時間かつ休日の少ない厳しい労働環境と、狭く不衛生な寄宿舎が多いといった厳しい生活環境に置かれ、過酷な条件下にあった。また、中国の送出し機関は、私生活や交友関係に及ぶ規則とその違反に対する制裁金を定め、これら規則の遵守を監督する監督者を置き、更に保証金徴収や保証人との間の違約金契約による威嚇の下で労働を強いて、預貯金の自由な処分の可能性を奪うなどの行為をして、技能実習生が逃亡や権利主張を事実上できないようにしていた。

日本の農業を強くすることは大事だが,正しく進めなければならない.

目次

 
第1章 なぜ今「AI農業」なのか
第2章 農業の現状
第3章 農業の価値を引き出す
第4章 AI農業のシステム
第5章 事例
第6章 知的財産の保護と活用
第7章 Made by Japan
第8章 農業の未来を考えるための10のキーワード

3月 222017
 

ゆるめる力 骨ストレッチ
松村卓,文藝春秋,2015

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「骨ストレッチ」というのは,なんとも奇妙な名前だが,骨を柔らかくしたり延ばしたりするわけではない.それでは軟体動物になってしまう.骨に着目したストレッチ方法とでも言えばよいだろうか.

著者は次のように書いている.

大事なのは,筋肉ではなく「骨」を意識して動かすこと.

力を入れるよりも,力を抜くこと.体を固めるよりも,ゆるめること.・・・・・・こうしたコツがわかってくると,あなたの日常は大きく変わります.

新しいストレッチ方法を勧めている本なので,読むだけは効果はなく,実際に試してみないといけない.このため,本書「ゆるめる力 骨ストレッチ」では,様々な骨ストレッチの方法が写真付きでわかりやすく紹介されている.単純な動作が多いので,本書だけでもできるようになるだろう.ただ,よくわからないストレッチ方法があるかもしれない.そのような場合には,著者のスポーツケア整体研究所のウェブサイトにあるサンプル動画が参考になるかもしれない.あるいは,いくつかの骨ストレッチで効果がありそうだと感じたら,講習会に参加してみるといいだろう.やはり直接指導してもらうのが一番だ.

私も実際に講習会に参加してみたが,確かに身体が動かしやすくなる.例えば,肩をグルグルと回したときに,大きく回るようになるといった効果がわかりやすい.本書でも,自分の身体を動かして,動きやすさ(動きにくさ)を感じながら実践することの重要性が説かれている.

骨ストレッチは楽に実践できるのが大きな魅力だと思う.継続して自分自身で効果を確認してみたい.恐らく,本書「ゆるめる力 骨ストレッチ」を読むだけでも,基本的な骨ストレッチは実践できるようになるので,皆さんも毎日数分間くらい試してみてはどうだろう.

目次

 
第1章 「骨」を使えばもっと元気になれる!
「骨ストレッチ」って何?
なぜ筋肉よりも骨が大事なのか/親指と小指で押さえるのがコツ/「パワールート」とは?/鎖骨を押さえてウエストを引き締める!/体幹はゆるめた方がいい/目指すは「心地よく動ける体」
 
第2章 しなやかに美しくなるコツ
「立ち方」で生き方が変わる
立っているだけで疲れていませんか?/「ダブルT」で立ち方が一変する/「中指ウォーキング」で毎日が快適/膝痛の予防にも効果抜群!/昔の日本人の「体の使い方」に極意あり/「骨のある生き方」をするために
 
第3章 固めるよりも、ゆるめること
ゆるめたほうが体は動く
鍛えても強くはなれない?/ストレッチで体が重くなる?/「ほぐしメソッド」で体のサビをとる/ストレスに効く究極のマッサージ/インナーマッスルを刺激する/「姿勢のゆがみ」が病気をつくる
 
第4章 なでるだけでも体はほぐれる
体を芯からゆるめる
「体の声を聞く」習慣をつけよう/「スライド式骨ストレッチ」を初公開/水のように流れる体をつくる/一流アスリートは「骨」を使っている/骨ストレッチでゴルフの飛距離を伸ばす!/関節痛に効くメソッド
 
第5章 体も心も「ゆるめる力」
骨ストレッチ流・メンタルの整え方
体がほぐれれば、心もほぐれる/励ましや暗示だけでは変われない/人前でも緊張しなくなる「丹田おろし」/笑顔こそが最高の「ゆるめる力」/心が「居着く」と不自由になる/「弱い心」を克服しなくてもいい

3月 182017
 

人間さまお断り 人工知能時代の経済と労働の手引き
ジェリー・カプラン(著),安原和見(訳),三省堂,2016

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シンギュラリティー(特異点)という言葉がよく語られるようになった.それだけ,人工知能の進化が速く,人智を越えた人工知能を想像して恐怖を感じる人が増えたということだろう.ロボット軍団を従えて人類を軍事力で制圧しようとする,人間より圧倒的に賢い人工知能があれば,それは確かに恐れるに値する.しかし,現実的に恐れるべきは,そのような未来だろうか.

チューリングが1950年に発表した論文「計算機と知性」の書き出しは,「こんな問いについて考えてみたい.『機械は思考できるか』」であるらしい(私は読んでいない).この後,チューリングは所謂チューリング・テストについて述べている.このテストでは,人間の審判が,自分とテキストのみで遣り取りする参加者たちの中の誰が人間で誰がコンピュータかを言い当てなければならない.このとき,コンピュータは審判に自分が人間であると思い込ませるように,できるだけ巧妙に振る舞う.このチューリング・テストについて,「おそらく50年後ぐらいには,コンピュータをプログラムして・・・・・・この模倣ゲームを巧みに演じさせることが可能になると思う.5分間質問したのち,一般的な審判が正しくコンピュータを見抜ける確率は70パーセントを超えられなくなるだろう」とチューリング自身は述べた.

一般に,チューリング・テストは,機械がある水準の(人工知能と呼ぶに相応しいほどの)知的能力を持てたかどうかを判断する基準として扱われてきた.しかし,「この解釈は誤っている」と著者ジェリー・カプランは指摘する.チューリングは上記の論文で,機械が知的能力を持つかどうかを判定するテストを作ろうとしたのではなく,1950年には受け入れられるはずのなかった「機械が考える」という表現が,20世紀末には広く社会に受け入れられるくらいに,人々の言葉や考え方が変化するだろうと予測したのだ.チューリングは以下のように書いている.

もともとの問いは「機械は思考できるか」だったが,これはあまりに無意味で議論に値しないと思う.にもかかわらず私は,20世紀の末には言葉の用法や知識層全般の考え方が大きく変化して,「機械が考える」と言ってもだれもおかしいとは思わなくなるだろうと思う.

実際はどうなったか.IBMのワトソンがクイズに答える様を見て,「ワトソンが考える」と言っても多くの人はおかしいとは思わないだろう.しかし,ワトソンが人間と同じように考えているわけではない.著者は「チューリングはなにからなにまで正しかった.チューリングの予測はみごと的中したのだ」と述べている.その上で,チューリングをまねて,著者は次のような予測をしている.

これから50年以内に,言葉の用法や知識層全般の考え方が大きく変化して,「合成頭脳は生きている」と言ってもだれもおかしいとは思わなくなるだろう.

合成頭脳(人工知能)が生きていると人間が思うようになるには,合成頭脳が人間の管理から脱して野生化する危険性について理解する必要がある,と著者は指摘する.

じゅうぶんに能力のある合成頭脳が,さまざまな実際的・経済的な理由で,法の前に「人工人格」と認められるというのは大いにありうることだ.

しかし,この道を突き進むのは危険だ.短期的に見れば,一定の権利なら人工人格に与えても適当のように思われる.しかし長期的には,それによって人間社会に破滅的な影響がおよぶ恐れがある.なかでも危険なのが,契約を結ぶ権利と資産を所有する権利だ.

それぐらい大したことはないと思うかもしれない.なにしろ,これはどちらも企業にも許されていることだからだ.しかし,企業と合成頭脳には,うっかり見過ごされがちな違いがあって,それが真の危険をもたらすのである.その違いとは,合成頭脳は自分で行動することができるが,企業は人間という代理人がいなければ行動できないということだ.人工人格として法をまとっていようと,企業という無骨な殻に覆われていようと,人間のゲームで合成頭脳が人間と競争するのを止めることはできない.そうなったら,合成頭脳は莫大な財産を築き,市場を独占し,土地を買い占め,天然資源を所有し,しまいにはおおぜいの人間を雇用して,名義人や受託者や代理人として使うようになるだろう—そしてそれは,もったいなくも合成頭脳さまに使っていただけるありがたいことなのである.奴隷が主人になりかわるわけだ.

本書「人間さまお断り」で著者ジェリー・カプランが描く暗い未来は,小説や映画によくあるような,機械対人間の武力衝突ではない.機械が人間に対して反乱を起こすようなことはなく,ほとんどの人間が気付かないうちに,機械が経済を乗っ取ってしまうような事態が,著者が想定するハルマゲドンだ.このような事態になるのは,人間がみずから進んで,自分の生活のあらゆる面で人工知能に頼るようになるからだ.

実際,既にそうなりつつある.何かを知るために検索エンジンに頼る(そして知らない人にはググれと言う).ある目的地に行くための道順を知るために地図アプリに頼る.どこを目的地にするかを決めるために,例えば美味しいランチの店を探すためにインターネットで検索をする(そして勧められるがままにレストランに向かう).リコメンデーションシステムがお勧めしてくれるモノを購入する.このようなことは,何でも人工知能が引き受けてくれるようになる.人間は「○○を教えて」と口にするだけでよくなる.付き合う相手を探すのも(友達より人工知能の方が信頼できる),進学する大学を選ぶのも(進路指導教員よりも人工知能の方が信頼できる),今晩の献立も(人工知能は冷蔵庫の中身もスーパーの安売りも全部お見通しだ),何でも1人1台の人工知能に尋ねれば教えてくれる.しまいには,なぜ人は生きるのかも人工知能が教えてくれるのではないか.そうなると,本人以外からは隷属しているようにしか見えないだろう.

これは著者が懸念する未来であるが,そうなるかどうかは我々次第ということになる.第三次人工知能(AI)ブームが盛り上がりを見せる今,どれだけ真剣に人類と人工知能の将来について考えるかが問われている.

本書では,タイトルにある通り,人工知能時代の経済と労働について,著者の見解が述べられている.すべてが納得できるわけではないが,優秀な研究者であり起業家である著者の洞察は深い.

次に,経済について見てみよう.経済学者ジョン・メイナード・ケインズは,1930年に発表した論文「Economic Possibilities for Our Grandchildren」において,今から一世紀後には経済成長のおかげでほとんど労働しなくてもすべての人間の基本的ニーズは満たされるようになると予測したそうだ(私は読んでいない).長期的には人類は経済的問題を解決し,絶対的ニーズが満たされれば,多くの人は非経済的な目的にエネルギーを向けるだろうとケインズは述べている.確かに,人類は経済成長を成し遂げたが,経済的問題はまるで解決されていない.著者は次のように指摘している.

ケインズの経済分析は的中したが,後代の不徳のいたすところで,富の分配に関する予測はまだ実現していない.

いまはまだ人間の手足や頭脳を必要とする仕事も,今後はその大半が自動化されていくだろう.そんな世界へ移行していくさいに肝心なのは,増えつづける富のもたらす利益を分配することだ.まだ残っていたよい仕事につけた人や,資産をため込んだ幸運な人だけに独占させてはいけない.最終的には,人類は機械と共生—というより,おそらくは機械に寄生する存在になるのではないだろうか.

生活水準のあまりの格差は国の恥であり,正さなくてはならない.

このように,本書において著者は徹底して経済的格差の是正を求めている.

次に,労働について見てみよう.労働問題は教育問題と直結している.著者は現在の教育を強く批判しているが,その批判を引用しておく.

職業訓練に関して,われわれは間違いをふたつ犯している.第一に,生徒になにを教えるか,おおむね従来の学校に決めさせている.公的に認可された教育機関は,経済の趨勢に敏感とはお世辞にも言えない.カリキュラムを組む担当者も,つねに現場に出てアンテナを張りめぐらせているわけではなく,どんな新たな技能が経済的に最も価値が高いかわからないのだから,敏感に反応したくても反応しようがない.私の子供たちは,高校でペン習字や微積法やフランス語を教わっていたが,タイピングとか統計とか中国語といった,もっと実用的な技能をなぜ教えないのか不思議でならない.

もちろん,教育内容をすべて就職しやすさだけで決めてよいとは思わない.教育と訓練はイコールではない.バランスよく教養を身につけ,歴史にくわしく,表現力があって思慮深い市民を育てるのは大いに意味のあることだ.しかし,基本的な核となる知識—私に言わせれば,周期律表を暗記したり,偏微分を解いたりするのはそれには含まれない—を身につけたら,その後は有用な市場価値のある技能を学ばせることを目的にすべきだ.学校で育てるべきなのは職業人であって,趣味人ではない.

第二の誤りは,「まず学校に行き,卒業してから就職する」のが暗黙の前提になっていることだ.これがいまく行っていたのは,職業と技能が世代単位でゆるやかに変化していたからだが,今日の変化の速い労働市場ではもう通用しない.学校時代と社会人時代を簡単に行き来できるようにすることが必要だ.あるいは少なくとも,新たな技能はいつでもどこでも簡単に習得でき,またそのことがだれの目にも明らかでなくてはならない.

日本では曽根何某が二次方程式は使わないから勉強する必要ないと主張したようだが,本書では偏微分方程式が基本的な核となる知識ではないとされている.二次方程式と偏微分方程式.いずれも現代の科学技術に欠かせないモノだが,そのレベル感の差が興味深い.二次方程式と偏微分方程式...

ちなみに,字が下手なばかりに冠婚葬祭時に記帳で泣きそうになる私は,「ペン習字」は非常に実用的だと思う.これに関する著者の主張には全く同意できない.

労働と教育の問題を解決するために,本書「人間さまお断り」で著者が提案しているのが,職業訓練ローンあるいは就活ローンだ.著者はこれを,「ほとんど破綻している現在の学生ローンに代わるもの,あるいはそれを補完するものだ」と述べてる.米国では,少なくない学生が学生ローンとして返済しきれないほどの負債を抱え込むことが問題視されている.しかも,著者によれば,「それで受けられる訓練は社会に出て役に立たない」のである.一方,上述のように,必要とされる技能を身に付けていないために職に就けずに失業する(している)人がいる.

余剰労働力と技能の陳腐化という問題は,加速度的な経済の進歩がもたらした副産物であり,その点では温室効果ガスとまったく同じである.気候の変動に関心をもつのと同じぐらい,世界的な労働生態系の受ける潜在的なダメージにも関心を払うべきだ.(中略)天然資源をリサイクルするように,人間の生まれ持った才覚を繰り返し発揮することができれば,すべての人々に利益がもたらされるはずである.

では,その解決策である就活ローンとはどのようなものか.それは「住宅ローンの職業版」だ.まず,労働者は見込み雇用主(現在の会社でもよい)という保証人を確保する.この保証は将来の雇用関係を約束するものではないが,雇用主側が約束を守った場合に税の優遇を受けられるようにして,企業に参加する動機付けを与える.また,企業が保証人になるときに保証金を積ませることで,保証書の乱発を抑制する.労働者は訓練講座を受講するが,その訓練講座は就活ローンで成り立つものであるため,講座の内容は企業が必要とする技能の習得に適した内容になる.労働者はローンを返済しなければならないが,その返済を賃金からに限る(手取りのX%以下といった上限を設ける)ことで,失業時には返済は猶予されるようにする.このような制度設計をすれば,労働者は必要とされる技能を身に付ける機会を得られるというのが著者の目論見だ.

とても示唆に富む面白い内容だった.人類と人工知能が共存する将来を考える上で参考になる本だろう.

目次

 
はじめに
導入(イントロダクション)―これがあなたの未来です
第1章 コンピュータに釣りを教える
第2章 ロボットに治りかたを教える
第3章 こそ泥ロボット
第4章 神々は怒っている
第5章 おまわりさん、あのロボットが犯人です
第6章 送料無料(フリー・シッピング)の国、アメリカ
第7章 大胆なファラオたちの国、アメリカ
第8章 どんな仕事も自動化できる
第9章 ぴったりの方法がある
導出(アウトロダクション)―これがあなたの子供たちの未来です

3月 132017
 

IoTが拓く次世代農業-アグリカルチャー4.0の時代
三輪泰史,井熊均,木通秀樹,日刊工業新聞社,2016

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遂に公式な場でスーパー安納芋プロジェクト(仮)を披露した私は,スマート農業の動向を追いかけている.その流れで読んだのが,本書「IoTが拓く次世代農業-アグリカルチャー4.0の時代」だ.第4次産業革命とまで言われるドイツのIndustrie 4.0は有名だが,本書を手にした瞬間に沸いた疑問は,農業1.0,2.0,3.0とは何だったのかということだ.この点が気になる人は多いだろう.というわけで,まず,この点について触れておく.著者が主張する農業1.0,2.0,3.0は以下の通りだ.

アグリカルチャー1.0:灌漑農業の発達
アグリカルチャー1.5:輪栽式農業や改良穀草式農業による欧州の「農業革命」
アグリカルチャー2.0:化学肥料や農薬の使用と品種改良による「緑の革命」
アグリカルチャー3.0:農業の機械化
アグリカルチャー3.5:ICTの部分的な活用(植物工場,営農支援ICT,農機運転支援など)
アグリカルチャー4.0:真のIoT化

正直,これからの技術を4.0と呼称するために無理していると思う.まあ,それはともかく,アグリカルチャー4.0に求められる要件として,以下が挙げられている.

  1. 3Kの解消
  2. 他産業並みの所得水準
  3. リターンに見合った合理的な投資負担
  4. クリエイティビティに富む事業環境

さらに,アグリカルチャー4.0の構成要素として,以下のものが挙げられている.

  1. 農地や作物の状態をデータとして把握するモニタリングシステム
  2. 栽培データとマーケットデータを統合し,最適な生産・販売計画を導く全体管理システム
  3. 全体管理システムの計画通りに,自動,半自動で農作業を行う農業機械・設備

本書では,さらに,アグリカルチャー4.0を実現するための中核技術として,自律多機能型ロボット「DONKEY」が猛烈に推奨されている.

アグリカルチャー4.0として著者が主張している内容には同意する.ただ,それは,製造業の後追いでもある.第二次産業の取り組みを第一次産業に導入しようという話だ.しかし,農業には農業独自の様々な事情がある.そのことについて触れる必要がある.本書「IoTが拓く次世代農業-アグリカルチャー4.0の時代」に記載されている内容をまとめておこう.

日本の農業産出額(生産額)は,1984年の12兆円弱から2014年の約8兆円まで,30年で3割も減少したという現実は衝撃的だ.この間,自主流通米の価格は,玄米60kgあたり,1990年の21600円から2014年の12215円まで激減した.基幹的農業従事者の平均年齢は67.0歳,65%が65歳以上であり,離農者が増えている.また,耕作放棄地の面積も,1985年には13.5万haだったものが,2015年には42.3万haとなっている.これは富山県や福井県の総面積に匹敵するそうで,その規模に驚かされる.

農林水産省の「営農類型別経営統計(個別経営)」によると,水田作の場合,営農面積1〜2ha(全体平均1.7ha)の農家の農業経営関与者1人あたり農業所得は58千円/年にすぎない.付加価値額は183円/時であり,補助金なしではアルバイトにも遠く及ばない.営農面積20ha以上でようやく1人あたり農業所得が4181千円/年とサラリーマン並みになる.露地栽培野菜の場合,営農面積0.5〜1ha(全体平均0.98ha)の農家の1人あたり農業所得は684千円/年,付加価値額は510円/時であり,営農面積7ha以上で1人あたり農業所得が4851千円/年とサラリーマン並みになる.施設栽培野菜の場合,営農面積3000〜5000m^2(全体平均4260m^2)の農家の1人あたり農業所得は2050千円/年,付加価値額は1067円/時であり,営農面積20000m^2以上でも1人あたり農業所得が3513千円/年にすぎない.面積の拡大が収入の増加に直結していないわけだが,本書では,特に家族経営の場合,「面積が広がると,手のかかる高価格の作物を作れない」ためであると指摘している.

日本農業の根本的な課題の一つは,ビジネスとしての魅力に乏しいことである.魅力のない産業にヒト・モノ・カネは集まらない.しかし,農業就業人口が一層減少していくこれからの時代,効率的な農法を導入し,農業従事者が一人で広い農地を扱うことができれば,収益性を大幅に向上できる.さらに,日本農業の強みである「高品質」を維持すれば,高収入の農業モデルが実現する.農地余りは,これから農業ビジネスを始める企業・法人にとって,農地を借りやすくなる,という追い風にすることができる.

農業は極めて重要だと思う.研究者として,私も関わっていくつもりだ.

目次

はじめに

第1章 ビジネス化が進む農業
1.日本農業の苦境
世界トップの品質なのに低迷する日本農業/日本農業の概観/離農と耕作放棄地の増加というピンチ/転換を求められる農業政策/日本農業の何が悪いのか/日本農業を救う「皆が儲かる農業」
2.加速する企業の農業参入
家族経営から法人経営へのシフト/農業参入という新たな波/農業参入を推進する規制緩和/法人化・農業参入のメリット/農業参入の課題
3.成功した農業企業家
高まる農業企業家の存在感/多角化や先進技術導入で躍進する農業法人/大企業からの出資を受ける農業法人/農業ビジネスの成功者が政策を動かす/低空飛行が続く農業従事者の所得水準

第2章 IoT化する農業
1.農業IoTの分類
IoT時代の幕開け/農業にも到達したIoT化の波/農業IoTの定義/農業IoTを後押しする政策
2.事例紹介①生産管理や環境制御のシステム化
実用化進む農業IoT/生産管理システム(農業ICT)/海外の営農支援ICTの事例/環境制御技術/環境制御がパッケージ化された植物工場/植物工場で導入進む自動化技術
3.事例紹介②自動運転農機や農業ロボットの出現
自動運転農機/自動運転農機の普及拡大のハードル/農業ロボット/農業用ドローン

第3章 アグリカルチャー4.0の時代
1.農業の技術革新の歴史
技術革新の歴史から浮かび上がる日本農業の位置/農業技術の分類/アグリカルチャー1.0:生物学と農業土木を中心とした変革/アグリカルチャー1.5:ヨーロッパで起きた農業革命/アグリカルチャー2.0:農芸化学を中心とした変革/アグリカルチャー3.0:機械化を中心とした変革/アグリカルチャー3.5:ICTの部分的な活用
2.アグリカルチャー3.5で取り残された課題
不可欠な露地栽培のテコ入れ/農業経営の現状/日本農業の構造的課題/農機導入によるコスト増加/付加価値向上の問題点
3.真のIoT化が導く『アグリカルチャー4.0』
IoTによる農業の大革新=アグリカルチャー4.0/アグリカルチャー4.0の鍵となるIoT/北海道の大規模農家から何を学ぶか/日本農業固有の課題を根本から解決/現状の「スマート農業」政策の効果と課題

第4章 アグリカルチャー4.0を牽引するIoT
1.農業ICT化の現状
(1)「種苗調達」のICT化
(2)「土づくり/播種・育苗・定植」のICT化
(3)「育成」のICT化
(4)「収穫」のICT化
(5)「出荷」のICT化
(6)「流通(加工)」のICT化
(7)「販売」のICT化
2.現状システムの問題点
①農業知見データの蓄積と共有化の遅れ
②システムの分断
③市場ニーズと生産を連携するシステム化の遅れ
④高コストで斑模様の機械化
農業のグランドデザイン再構築/グランドデザイン作りに求められるIoTの三層構造の理解
3.農業における究極のICT化
(1)農業IoT中核機能①:「農業知見の共通データベース」
(2)農業IoT中核機能②:「計画・管理・制御で連携するアプリケーション群」
(3)農業IoT中核機能③:「生産・流通のマッチングプラットフォーム」
(4)農業IoT中核機能④:「小投資・多用途・無人化を目指す
自動化プラットフォーム」
4.アグリカルチャー4.0の中核『DONKEY』
(1)自律多機能型ロボット「DONKEY(ドンキー)」
(2)ベースモジュールの機能概要
(3)プラットフォームのシステム概念
(4)アタッチメントの構成
(5)「DONKEY」が生み出す未来の農業生産
5.アグリカルチャー4.0がもたらす農家の所得向上
アグリカルチャー4.0で年収1000万円を目指す/効果試算のモデルケース/所得向上効果のシミュレーション/DONKEYのシステム料/アグリカルチャー4.0が創る新たな農業従事者像

第5章 アグリカルチャー4.0の推進策
1.アグリカルチャー4.0の基盤アグリデータベースを構築せよ
アグリデータベースの重要性/データベース構築のハードル/データベース運営の受け皿/データベース運営者に求められる機能/農業データベースで先行するオランダ農業/データベースに参画するインセンティブ
2.自律多機能型農業ロボット『DONKEY』の開発戦略を推進せよ
自律多機能型農業ロボットの開発におけるハードル/DONKEY開発のための枠組み作り/ベースモジュールとプラットフォームの開発プロセス/アタッチメントのラインアップ充実のためのオープンイノベーション
3.アグリカルチャー4.0特区で成功事例を創出せよ
アグリカルチャー4.0特区で実用化を加速/アグリカルチャー4.0特区の面展開
4.アグリカルチャー4.0を農業のグローバル展開のパイオニアとせよ
新興国で高まる高付加価値農産物へのニーズ/日本式農業による新たなマーケットの開拓/日本式農業=農業知財ビジネス/再現性が高いアグリカルチャー4.0は日本式農業の決定打/アグリカルチャー4.0を日本版IoTの海外展開のパイオニアに/最後に~アグリカルチャー4.0が拓く次世代農業ビジネス~

3月 052017
 

足と靴の科学
(株)アシックス スポーツ工学研究所(編著),西脇剛史(監修),日刊工業新聞社,2013

足と靴の科学

靴について勉強したいと思い,いくつか購入した本のひとつが本書「足と靴の科学」だ.

靴のサイズについては,男性なら23.0cm〜28.5cm,女性なら21.0cm〜26.0cmで99%以上を占めるらしい.

本書を読んで参考になったことのひとつが「捻挫の対処方法」だ.捻挫したら応急処置であるRICE(ライス)処置が重要で,この処置を行うかどうかで治りの早さが異なるそうだ.ちなみに,RICEは頭文字で,Rest(安静),Ice(冷却),Compression(圧迫),Elevation(挙上)である.詳細は省くが,これらを繰り返すと良いらしい.

この他,靴の選び方や保管方法等も参考になった.

目次

 
第1章 足のサポートギア「靴」
1  靴の歴史
2  靴の構造と名称
3  靴の底部、ソールの材料
4  靴に使われるアッパー材料とその特性―天然皮革・人工皮革・ダブルラッセル―
5  靴ができるまで
 
第2章 身体の中における足の役割と動き
6  足の骨格構造─親指で地面を押して、ほかの指で地面をつかむ─
7  日本人の足の特徴─各国の足形の比較─
8  歩行時の足の動き
9  走るときの足の動き
 
第3章 靴に必要な8つの機能
10  靴の機能
11  衝撃緩衝性─接地開始時の地面反力の緩和─
12  安定性─接地中の足部、脚部関節の過度な動きを抑制─
13  通気性─シューズ内の温湿度を制御─
14  フィット性─はき心地の向上─
15  軽量性─シューズの重量軽減─
16  耐久性―シューズの使用可能期間の増大―
17  グリップ性―路面環境を問わず、スリップによるケガを抑制―
18  屈曲性―蹴り出し時(かかと上昇時)の足沿いの良さ―
 
第4章 用途・目的別靴の機能設計の例
19  靴に必要とされる機能―用途・目的に応じて最適な設計がされている―
20  走るための靴―マラソンシューズ、レーシングシューズ、ランニングシューズ―
21  歩くための靴(ウォーキングシューズ)―低速歩行、高速歩行、姿勢改善など―
22  でこぼこした道や坂などでの使用が想定される靴―トレイル系シューズ―
23  屋外の路面環境での使用が想定されるスポーツシューズ―フィールド系シューズ―
24  屋内での使用が想定されるスポーツシューズ―コート系シューズ―
25  ボートレース用シューズ、レスリングシューズ、防寒作業靴―その他のシューズ―
 
第5章 足と靴にまつわるトラブル
26  靴と足が合わないときの皮膚摩擦による出血、マメ―靴ずれ―
27  靴が路面をすべり、踏ん張りがきかない―すべり―
28  関節で起こるケガ―足首の捻挫―
29  ふくらはぎの内側の下部に生じる痛み―シンスプリント―
30  そのほかの障害―水虫、タコ、魚の目、外反母趾など―
 
第6章 靴の選び方とお手入れの方法
31  足の測り方―靴選びはまず自分の足を知ることから―
32  フィッティングチェック―履き心地のチェック―
33  オーダーシューズやカスタムオーダーインソールの効果
34  靴の保管の仕方
35  普段のお手入れや洗濯の方法
 
Column
フィット性向上のために着用時の変形の状態を測定する装置―光学式3次元ひずみ分布計測システム―
身体の各所の動きから動作の分析をする装置―モーションキャプチャーシステム―
運動中に地面を蹴る力を測定する装置―フォースプレート―
運動中の動作を細かく観察するための装置―ハイスピードカメラ―
シューズのクッション性の経過を観察する試験―圧縮永久歪試験機―

3月 052017
 

「骨ストレッチ」ランニング 心地よく速く走る骨の使い方
松村卓,講談社,2014

骨ストレッチランニング

私はロードバイク派なのでランニングはほとんどしないが,「骨ストレッチ」を体験する機会があり,講習会にも参加してみて,身体の動きがよくなるのを実感したことで興味がわき,骨ストレッチ関連の本を読んでみることにした.本書である必要はなかったが,最初に図書館から借りることができたのが本書「「骨ストレッチ」ランニング 心地よく速く走る骨の使い方」だった.

骨ストレッチは著者である松村卓氏が2007年に考案したもので,今では日本各地で様々な講習会が開催されている.骨ストレッチという名称は奇妙に聞こえるが,筋肉ではなく骨を意識し,その使い方に重点をおくストレッチ方法だと考えればいいだろう.筋肉主義者には受け入れがたいかもしれないが,「チーターにボコボコの腹筋はない」という例えを使い,腹筋をはじめ筋力レーニングに励むことで,むしろ身体をうまく動かすことができなくなっているのではないかと疑問を投げかける.これは,全日本実業団6位など短距離走選手として猛烈なトレーニングに励み,徹底的に筋肉武装したものの,怪我に悩まされ続けた著者の実体験から湧き出た問いだ.そして,行き着いた結論が「骨ストレッチ」である.

まえがきには次のように書かれてある.

私が本書を通じて皆さんに考えてほしいのは,苦しく辛いトレーニングに打ち込まなくては満足のいく結果は得られないのか,という点です.スポーツの世界を取り巻くそうした常識から離れ,「体が心地よいから速く走れる」「楽しいから夢中になれる」という感覚を身に付けたいと思いませんか?

そのためには,これまでのトレーニングの内容をいったん見直し,まったく異なる発想で体の動かし方を学んでいく必要があります.「筋肉」を鍛え,瞬発力を高めるやり方から,「骨」を意識し動かすやり方へと,シフトチェンジしてほしいのです.

本書では,アキレス腱伸ばしをはじめとする従来のストレッチを行った後,身体が動かしやすくなっているか,柔らかくなっているかを自分自身で感じてみることを勧めている.もし身体が重くなったように感じたり,動かしにくくなったように感じたりするなら,そのようなストレッチは間違っている.実際,従来のストレッチは体を固くすることが多いと松村氏は指摘する.さらに,筋トレで動きが鈍くなるようなら無理に続ける必要はなく,筋トレで体幹を固めてしまうと動きが悪くなるとも指摘されている.

動ける体を手に入れるためには,筋肉ではなく骨を意識し,骨を活用する術を知らなければならない.このために有効なのが骨ストレッチだということになる.本書では,いくつもの骨ストレッチ方法が具体的に紹介されている.その基本は「親指と小指で体の節々を押さえて動かす」だけだ.誰でも手軽に取り組める.なお,著者は,骨ストレッチに効果があるかどうかは自分の体に聞くようにと書いている.腕をまわしたり,前屈したりすれば確認できると.

骨ストレッチの基本になるのが,「ダブルT」という立ち方である.足の中指のラインを意識するダブルTの立ち方を覚えると,無駄な力の入らない自然体が体感できる.これがウォーキングやランニングの基本となる.

こういうのは論より体験.誰かがやっていようがいなかろうが,それは自分の身体とはまったく関係ない.やりたくなければやらなくていいし,試したいなら試せばいい.とにかく自分でやってみるしかない.ちなみに私はやってます.

目次

 
まえがき — 「骨」を使えば驚異の走りが実現!
第1章 間違いだらけのランニング法
第2章 「走れる体」を作る骨ストレッチ
第3章 走りが劇的に変わる「立ち方」&「歩き方」
第4章 「腕振り」&「足の運び」総チェック
第5章 「心地よく」「速く」走るコツ
第6章 日本人の走りの可能性
おわりに — 「私はそれを骨で感じる」という英語の意味