3月 182017
 

人間さまお断り 人工知能時代の経済と労働の手引き
ジェリー・カプラン(著),安原和見(訳),三省堂,2016

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シンギュラリティー(特異点)という言葉がよく語られるようになった.それだけ,人工知能の進化が速く,人智を越えた人工知能を想像して恐怖を感じる人が増えたということだろう.ロボット軍団を従えて人類を軍事力で制圧しようとする,人間より圧倒的に賢い人工知能があれば,それは確かに恐れるに値する.しかし,現実的に恐れるべきは,そのような未来だろうか.

チューリングが1950年に発表した論文「計算機と知性」の書き出しは,「こんな問いについて考えてみたい.『機械は思考できるか』」であるらしい(私は読んでいない).この後,チューリングは所謂チューリング・テストについて述べている.このテストでは,人間の審判が,自分とテキストのみで遣り取りする参加者たちの中の誰が人間で誰がコンピュータかを言い当てなければならない.このとき,コンピュータは審判に自分が人間であると思い込ませるように,できるだけ巧妙に振る舞う.このチューリング・テストについて,「おそらく50年後ぐらいには,コンピュータをプログラムして・・・・・・この模倣ゲームを巧みに演じさせることが可能になると思う.5分間質問したのち,一般的な審判が正しくコンピュータを見抜ける確率は70パーセントを超えられなくなるだろう」とチューリング自身は述べた.

一般に,チューリング・テストは,機械がある水準の(人工知能と呼ぶに相応しいほどの)知的能力を持てたかどうかを判断する基準として扱われてきた.しかし,「この解釈は誤っている」と著者ジェリー・カプランは指摘する.チューリングは上記の論文で,機械が知的能力を持つかどうかを判定するテストを作ろうとしたのではなく,1950年には受け入れられるはずのなかった「機械が考える」という表現が,20世紀末には広く社会に受け入れられるくらいに,人々の言葉や考え方が変化するだろうと予測したのだ.チューリングは以下のように書いている.

もともとの問いは「機械は思考できるか」だったが,これはあまりに無意味で議論に値しないと思う.にもかかわらず私は,20世紀の末には言葉の用法や知識層全般の考え方が大きく変化して,「機械が考える」と言ってもだれもおかしいとは思わなくなるだろうと思う.

実際はどうなったか.IBMのワトソンがクイズに答える様を見て,「ワトソンが考える」と言っても多くの人はおかしいとは思わないだろう.しかし,ワトソンが人間と同じように考えているわけではない.著者は「チューリングはなにからなにまで正しかった.チューリングの予測はみごと的中したのだ」と述べている.その上で,チューリングをまねて,著者は次のような予測をしている.

これから50年以内に,言葉の用法や知識層全般の考え方が大きく変化して,「合成頭脳は生きている」と言ってもだれもおかしいとは思わなくなるだろう.

合成頭脳(人工知能)が生きていると人間が思うようになるには,合成頭脳が人間の管理から脱して野生化する危険性について理解する必要がある,と著者は指摘する.

じゅうぶんに能力のある合成頭脳が,さまざまな実際的・経済的な理由で,法の前に「人工人格」と認められるというのは大いにありうることだ.

しかし,この道を突き進むのは危険だ.短期的に見れば,一定の権利なら人工人格に与えても適当のように思われる.しかし長期的には,それによって人間社会に破滅的な影響がおよぶ恐れがある.なかでも危険なのが,契約を結ぶ権利と資産を所有する権利だ.

それぐらい大したことはないと思うかもしれない.なにしろ,これはどちらも企業にも許されていることだからだ.しかし,企業と合成頭脳には,うっかり見過ごされがちな違いがあって,それが真の危険をもたらすのである.その違いとは,合成頭脳は自分で行動することができるが,企業は人間という代理人がいなければ行動できないということだ.人工人格として法をまとっていようと,企業という無骨な殻に覆われていようと,人間のゲームで合成頭脳が人間と競争するのを止めることはできない.そうなったら,合成頭脳は莫大な財産を築き,市場を独占し,土地を買い占め,天然資源を所有し,しまいにはおおぜいの人間を雇用して,名義人や受託者や代理人として使うようになるだろう—そしてそれは,もったいなくも合成頭脳さまに使っていただけるありがたいことなのである.奴隷が主人になりかわるわけだ.

本書「人間さまお断り」で著者ジェリー・カプランが描く暗い未来は,小説や映画によくあるような,機械対人間の武力衝突ではない.機械が人間に対して反乱を起こすようなことはなく,ほとんどの人間が気付かないうちに,機械が経済を乗っ取ってしまうような事態が,著者が想定するハルマゲドンだ.このような事態になるのは,人間がみずから進んで,自分の生活のあらゆる面で人工知能に頼るようになるからだ.

実際,既にそうなりつつある.何かを知るために検索エンジンに頼る(そして知らない人にはググれと言う).ある目的地に行くための道順を知るために地図アプリに頼る.どこを目的地にするかを決めるために,例えば美味しいランチの店を探すためにインターネットで検索をする(そして勧められるがままにレストランに向かう).リコメンデーションシステムがお勧めしてくれるモノを購入する.このようなことは,何でも人工知能が引き受けてくれるようになる.人間は「○○を教えて」と口にするだけでよくなる.付き合う相手を探すのも(友達より人工知能の方が信頼できる),進学する大学を選ぶのも(進路指導教員よりも人工知能の方が信頼できる),今晩の献立も(人工知能は冷蔵庫の中身もスーパーの安売りも全部お見通しだ),何でも1人1台の人工知能に尋ねれば教えてくれる.しまいには,なぜ人は生きるのかも人工知能が教えてくれるのではないか.そうなると,本人以外からは隷属しているようにしか見えないだろう.

これは著者が懸念する未来であるが,そうなるかどうかは我々次第ということになる.第三次人工知能(AI)ブームが盛り上がりを見せる今,どれだけ真剣に人類と人工知能の将来について考えるかが問われている.

本書では,タイトルにある通り,人工知能時代の経済と労働について,著者の見解が述べられている.すべてが納得できるわけではないが,優秀な研究者であり起業家である著者の洞察は深い.

次に,経済について見てみよう.経済学者ジョン・メイナード・ケインズは,1930年に発表した論文「Economic Possibilities for Our Grandchildren」において,今から一世紀後には経済成長のおかげでほとんど労働しなくてもすべての人間の基本的ニーズは満たされるようになると予測したそうだ(私は読んでいない).長期的には人類は経済的問題を解決し,絶対的ニーズが満たされれば,多くの人は非経済的な目的にエネルギーを向けるだろうとケインズは述べている.確かに,人類は経済成長を成し遂げたが,経済的問題はまるで解決されていない.著者は次のように指摘している.

ケインズの経済分析は的中したが,後代の不徳のいたすところで,富の分配に関する予測はまだ実現していない.

いまはまだ人間の手足や頭脳を必要とする仕事も,今後はその大半が自動化されていくだろう.そんな世界へ移行していくさいに肝心なのは,増えつづける富のもたらす利益を分配することだ.まだ残っていたよい仕事につけた人や,資産をため込んだ幸運な人だけに独占させてはいけない.最終的には,人類は機械と共生—というより,おそらくは機械に寄生する存在になるのではないだろうか.

生活水準のあまりの格差は国の恥であり,正さなくてはならない.

このように,本書において著者は徹底して経済的格差の是正を求めている.

次に,労働について見てみよう.労働問題は教育問題と直結している.著者は現在の教育を強く批判しているが,その批判を引用しておく.

職業訓練に関して,われわれは間違いをふたつ犯している.第一に,生徒になにを教えるか,おおむね従来の学校に決めさせている.公的に認可された教育機関は,経済の趨勢に敏感とはお世辞にも言えない.カリキュラムを組む担当者も,つねに現場に出てアンテナを張りめぐらせているわけではなく,どんな新たな技能が経済的に最も価値が高いかわからないのだから,敏感に反応したくても反応しようがない.私の子供たちは,高校でペン習字や微積法やフランス語を教わっていたが,タイピングとか統計とか中国語といった,もっと実用的な技能をなぜ教えないのか不思議でならない.

もちろん,教育内容をすべて就職しやすさだけで決めてよいとは思わない.教育と訓練はイコールではない.バランスよく教養を身につけ,歴史にくわしく,表現力があって思慮深い市民を育てるのは大いに意味のあることだ.しかし,基本的な核となる知識—私に言わせれば,周期律表を暗記したり,偏微分を解いたりするのはそれには含まれない—を身につけたら,その後は有用な市場価値のある技能を学ばせることを目的にすべきだ.学校で育てるべきなのは職業人であって,趣味人ではない.

第二の誤りは,「まず学校に行き,卒業してから就職する」のが暗黙の前提になっていることだ.これがいまく行っていたのは,職業と技能が世代単位でゆるやかに変化していたからだが,今日の変化の速い労働市場ではもう通用しない.学校時代と社会人時代を簡単に行き来できるようにすることが必要だ.あるいは少なくとも,新たな技能はいつでもどこでも簡単に習得でき,またそのことがだれの目にも明らかでなくてはならない.

日本では曽根何某が二次方程式は使わないから勉強する必要ないと主張したようだが,本書では偏微分方程式が基本的な核となる知識ではないとされている.二次方程式と偏微分方程式.いずれも現代の科学技術に欠かせないモノだが,そのレベル感の差が興味深い.二次方程式と偏微分方程式...

ちなみに,字が下手なばかりに冠婚葬祭時に記帳で泣きそうになる私は,「ペン習字」は非常に実用的だと思う.これに関する著者の主張には全く同意できない.

労働と教育の問題を解決するために,本書「人間さまお断り」で著者が提案しているのが,職業訓練ローンあるいは就活ローンだ.著者はこれを,「ほとんど破綻している現在の学生ローンに代わるもの,あるいはそれを補完するものだ」と述べてる.米国では,少なくない学生が学生ローンとして返済しきれないほどの負債を抱え込むことが問題視されている.しかも,著者によれば,「それで受けられる訓練は社会に出て役に立たない」のである.一方,上述のように,必要とされる技能を身に付けていないために職に就けずに失業する(している)人がいる.

余剰労働力と技能の陳腐化という問題は,加速度的な経済の進歩がもたらした副産物であり,その点では温室効果ガスとまったく同じである.気候の変動に関心をもつのと同じぐらい,世界的な労働生態系の受ける潜在的なダメージにも関心を払うべきだ.(中略)天然資源をリサイクルするように,人間の生まれ持った才覚を繰り返し発揮することができれば,すべての人々に利益がもたらされるはずである.

では,その解決策である就活ローンとはどのようなものか.それは「住宅ローンの職業版」だ.まず,労働者は見込み雇用主(現在の会社でもよい)という保証人を確保する.この保証は将来の雇用関係を約束するものではないが,雇用主側が約束を守った場合に税の優遇を受けられるようにして,企業に参加する動機付けを与える.また,企業が保証人になるときに保証金を積ませることで,保証書の乱発を抑制する.労働者は訓練講座を受講するが,その訓練講座は就活ローンで成り立つものであるため,講座の内容は企業が必要とする技能の習得に適した内容になる.労働者はローンを返済しなければならないが,その返済を賃金からに限る(手取りのX%以下といった上限を設ける)ことで,失業時には返済は猶予されるようにする.このような制度設計をすれば,労働者は必要とされる技能を身に付ける機会を得られるというのが著者の目論見だ.

とても示唆に富む面白い内容だった.人類と人工知能が共存する将来を考える上で参考になる本だろう.

目次

 
はじめに
導入(イントロダクション)―これがあなたの未来です
第1章 コンピュータに釣りを教える
第2章 ロボットに治りかたを教える
第3章 こそ泥ロボット
第4章 神々は怒っている
第5章 おまわりさん、あのロボットが犯人です
第6章 送料無料(フリー・シッピング)の国、アメリカ
第7章 大胆なファラオたちの国、アメリカ
第8章 どんな仕事も自動化できる
第9章 ぴったりの方法がある
導出(アウトロダクション)―これがあなたの子供たちの未来です

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